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朝、昼食事中にTed。シェリー・タークルとロクサーヌ・ゲイ。どっちも簡潔にまとまってるし笑いもとってるしいい感じ。特にゲイはスタンダップ・コメディアンも真っ青なレベルで受けまくっていた。さすが。

『感性的なもののパルタージュ』2章。そんなに噛み砕いて理解できている気はしないが面白い。主に絵画を例に、ミメーシスを規範として受け取るのではなく、その「外への跳躍」を「形象化の拒否」とは異なる方向から再検討する。

ミメーシスの外への跳躍は、形象化の拒否では全くない。そして、その跳躍の端緒となる契機はしばしば<リアリズム>と呼ばれたが、これは類似の重視を意味するのでは毛頭なく、類似が機能していた枠組みの破壊を意味するのである。...芸術の美的=感性論的体制匂いては、芸術の未来、すなわち、それが現在において芸術に非ざるものとのあいだにもつ隔たりは、絶えず過去を舞台に乗せ直すのである。27

特に名指しはされていなかったがメディウム・スペシフィシティの議論が明らかに踏まえられている感。あとこの本だとアリストテレスとリクールの議論が主な前提っぽいが、ミメーシスといえばこれをそろそろ読まんと、ということで午後はアウエルバッハ『ミメーシス』を二章分。一章はホメロスvs旧約。

相対立するこれら二つの文体は、二つの基本型を表している。すなわち、一方は、すべてを入念に形象化する描写、均一な照明、隙間のない結合、自由な発言、奥行きのない前景、単純明瞭な一義性、歴史的発展や人間的・問題的な要素の乏しさ、という特色を持っており、もう一方は、光と影の際立った対照、断続性、表現されないものを暗示する力、背景をそなえた特性、意味の多様さと解釈の必要、世界史的要求、歴史の展開に関する概念の形成、問題性への深化、などの特色を持っている。51-2

ひとまず押さえるべきは表層ー深層の対立なんだろうけど、 前者(ホメロスのリアリズム)の特徴はパンフォーカスの映画とか、アイン・ランド⇨俺Tsueeeとかに繋がっていく要素すらあるような。二章はペトロニウスタキトゥスvs新約。ここで早くもtypology思想の根幹が。

聖書の内容全体が解釈次第でどうにでもなり、しばしば読者または聴衆の注意を感覚的事象から意味のほうへ向けておいて、そこに語られている事柄をその感覚的基底から遠く離してしまうようなことが行われた。従って事象の具象性が意味の厚い網の目にとらえられて硬直し、死んでしまう危険があった。...しかしこの二つの事件が、...といったような説法で、たがいに関連づけられて解釈されると、感覚的な事象は比喩的な意味に圧倒されて消え失せてしまう。 93-4

 現状、一応作者の意図をベースに書かれていることもあり、思ったよりは素朴な印象。各作者の関心以上に何に無関心だったか、がむしろ重要な局面も。ホメロスタキトゥスにおける階級意識の不在とか。

昨日腹筋したからかプランク150秒ですでにきつい。からの今日も漢聴きつつ5km。3曲に一回ぐらいは吸ってまーす!とリリックで宣言していて笑ってしまう。「需要と供給 年中無休でポリスとガンジャをうまく巻く」(My Money Long)。

夕食時はダマシオのTed観たが、これは文系の学部生だとちんぷんかんぷんな人も多いかもしれない。夜論文ちょっぴり進めたあたりで大量の謎事務連絡が来襲。そもそも授業開始日を勘違いしていたものすらあることが発覚したりで狼狽。雑談電話しつつとりあえず対応したが、先が思いやられる。

寝る前にビール一本だけ投入して城定『若妻痴漢遊戯 それでも二人は。』。痴漢という題材にもかかわらず女性エンパワー要素に満ちた再婚喜劇の秀作。バッド・フェミニストがらみの例で紹介したいぐらい。痴漢といえば電車だからか?遠景に電車を写しこむ構図や踏切演出には結構凝っていたような。「いきなり故障した」洗濯機視点でヒロインを捉えたファーストショットと「勝手になおった」洗濯機で洗濯を再開する彼女からのUFOで締めるラストショットの呼応。夫婦の関係は、夫婦生活の根幹を成す要素の一つである洗濯をめぐる状況によって象徴される。本作でヒロインに影響を与える出会いはすべて洗濯機の故障によって通うこととなったコインランドリーで起こる。メガネ教師が逆上がりで始まるやつ(タイトル失念)など、最初と最後のカットを対応させてヒロインの変化を象徴させるパターンは時々使っている気がするが、その最初の例か。コインランドリーで再会したイメクラ嬢とビルの屋上で夜景見ながら飲むところも妙によかった。