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シネマート新宿で『クラッシュ』、『ヘンリー』、『アメリカン・サイコ』。

 

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昼過ぎまでひたすら論文のエラータ修正。神経使って疲れた。

小沢昭一『私のための芸能野史』。

サーヴァント2話まで。シーズン1の展開、観ながらなんとか思い出してきた。

 

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アテネフランセで『レフト・アローン』。文芸坐でキャサリン・ビグロー『ブルー・スチール』。

 

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昼に修正版の論文提出。わざわざ大学に一番近いところに出しに行ったが、昔から世話になっていた個人経営の店は移転してしまっており、仕方なく某チェーンへ。びっくりするぐらい担当の対応が要領を得ず、さすがに不安。どうなってんだ。

庭園美術館で「20世紀のポスター」展。もうちょっとタイトルなんとかならなかったのか。最初全然興味沸かなかったが、よくサイトの説明見たら1930sあたりまでのスイスやドイツ、ソ連あたりのめちゃくちゃかっこいいポスター群が大量に展示されていることに気づいて慌てて。後半の60s以降への変化を印刷方法の移り変わりと並置するキュレーションも良かった。よく考えたら新館にいった記憶がまるでなかったので、改修以来初めて行ったのかもしれない。

帰りに数年ぶりに「とんき」でロースかつ定食。久々すぎて忘れていた箸で衣が取れてしまったりする感覚を思い出しつつ。まあ随分と混んでた。待ち時間的にも感染対策的にも二階選んで失敗。いろいろなかっこいい過去のポスター展示の図録などを振り返りつつ、SOCIETEと雷電の缶ビール、タリスカー

 

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朝、ゴディバとローソンのコラボ企画からカレーパンとチョコパン。特にカレーパンはわりと期待していただけにめちゃくちゃ普通の味でがっかり。

昼、久方ぶりに大雨に降られる。タイミングが色々不運だった。近所の蕎麦屋で田舎蕎麦。ど平日の真昼間からジジイの集団客が酒盛りをしており、楽しそうでいいけどこの構造の店でこの時期は勘弁してくれとなった。

夕方、天気も落ち着いたしなんとか残席ありそうだったので、口上から駆け込みで末廣亭桂宮治真打昇進披露興行、新宿中日。口上で落語の技術と魅力について語っていたゲスト談春の、その双方を見せつける「替わり目」を満喫。宮治師匠は「怪談青菜」。後半になるにつれ魅力が炸裂する構成。楽しかった。

夜、以前寝落ちしていたカーペンター『ダークスター』を再び。一切のカネをかけずにほぼ宇宙船内部でここまでの事ができるとは。デビュー作にしてカーペンターの異形の才能が迸りまくっていた。オフビートとくくるのも的を得ていないような感じがするが、とにかくただダラダラしているだけなのに全く飽きずに見られる細すぎる線を突いてくる脚本とメリハリの効いた撮影が凄まじい。明らかにビーチボールに足生やしただけの宇宙人とダン・オバノンが追いかけっこするどうでもよすぎるくだり、特にオバノンがバカみたいに何度も上下動するエレベーターにぶら下がったり挟まったりする場面はめちゃくちゃ笑えたし、異常な引っ張り方は完全に『ゼイリブ』のプロレス場面に通じるな、と。オバノンが寒いこと言って他の乗組員に無視されるところ、死んだはずの船長の間の抜けた冷凍催眠、船長代理の謎のオリジナル楽器、ミサイルに現象学を教えて命令を拒否させるというふざけすぎの展開、などなど最高の細部が多すぎ。そして何よりかっこよすぎるラストには喝采。とりあえず春までにカーペンターたくさん観たい。深夜にかけて『ブルックリン99』1話。これは流行るわ。疲れた時ちょっとずつ観たい。寝る前に『サーヴァント』3、4話も。シャマラン娘→シャマランの親バカリレーが炸裂。

 

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朝から花粉の気配。我々は小池の公約破りを決して忘れない。

午前、サーヴァント5話とAlone Together読み。夕方ユーロスペース相米『光る女』。先日ノアの試合を見た流れで我慢できなくなり10年ぶりに35年前の武藤を。今58歳とすると87年公開の映画撮影時には25ぐらいだったのか。なんでヤングライオン期にいきなり主演しているのかよくわからないが、どうもオーディション代わりに新日の試合を見に来た相米が一目惚れしたらしい。『俺の家の話』における能のはるか前に、プロレスをオペラと融合しようとして失敗した謎の作品があったのだなと改めて。相米があまりプロレスのことをわかってなさそうなのが上手くいかなかった原因なんだろうか。逆水平の張り合いみたいな芝居をさせるの大好きそうなのにやや意外というか。地下闘技場にロープがないのがダメだったのか。武藤が車の屋根に登ったりガードレールでロープワークもどきを披露する場面、ほぼ裸髭面なのに急に赤のダブルのスーツ着るところとかは良かったんだが...。

夜『東京干潟』を。河原で採集したしじみを売った金で酒と猫の餌を買って楽しく暮らしている元社長のホームレス男性を追ったドキュメント。被写体の方が魅力的すぎるのでどこまでが監督の手柄なのかよくわからん部分もあるが、築地、料亭を経て政治家の腹の中に自分のとったしじみが入っていると話す場面や、かつてのバブル期建設現場の思い出話が撮影当時自分たちの生活の場を破壊しつつあったオリンピック特需の建築ラッシュにシームレスにつながってしまう展開には驚いた。多くの猫に餌をやっていることについて話す際に何度も「誰だって生きる権利がある」と語っていたところが忘れがたい。

『はらわたが煮えくりかえる』6章。教育や文化の情動emotionへの影響を探る。構築主義なのか文化をまたぐ普遍性があるのか、の単純な二元論ではなく両者をどう両立させる統一理論を立てられるか、という角度から考察。身体状態の知覚、という意味では全文化共通で、その意味で基礎情動をいくつか設定できる(著者は身体感覚に寄せたもので分類)。それらをどう評価するか、知覚のレベルに様々な形で文化や教育のバイアスがかかっていくという建てつけになっていた。まあ納得。

杉田俊介『人志とたけし』序文と対談二つ。序文で紹介されていた鶴見俊輔吉本興業論はちょっと読んでみたくなった。当時の大衆観をそのまま無批判に今引き継ぐのは厳しいとは思うが、未だに古びていない部分もあるかもしれない。対談ではやはり九龍ジョー氏の指摘に膝打つ部分が多かった。松本がNSC一期生であることと歴史の切断、伝統の否定へ向かう彼の方向性を重ねるのは他の人も言ってることだとは思うが、そこに彼が芸のスポーツ/コンペティション化を様々な形で推進したことの意味も重なるというのは意識したことがなかった。さらにそこと繋がる話として、結局今は場の設定だけやってアガリ状態でニュースネタに対してもあえて予習しないで反射神経だけでなんとかするのがむしろすごい、というスタンスを貫いていることの孕む問題。結局現役でネタやらず舞台に立とうとしないことが一番まずい、というのもまさにその通りだなと。またおそらく本作ってる時期にわりとホットだった話題としてのAマッソと金属バットの炎上についての簡潔なコメントにも完全に同意。まずそもそも芸を必要とする人が少数であり、そうではなく金も落とさず芸そのものも見ていない外野がいろいろ言う流れをどう捉えるか、という問題がある。その前提の上で、Aマッソが記号として差別ネタをフラットに扱ってしまったことの何がまずかったかは、自分が以前スパイク・リーによるタランティーノ批判について考えたあたりとほぼ重なる問題系だろう。ランズマンも褒めてたイングロはセーフだけど例えば昔の黒人いじりと新作のブルースリー表象はアウト、というような。

 

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起きてちょっと食べてすぐヒューマントラストへ。未体験ゾーン企画で今日までの『ファブリック』を。ぜんっぜんダメだった。もったいぶってるだけで中身空っぽなのに尺が長すぎ。前後半で話変えちゃうなら前半の銀行員の中年女性がらみの細部をいろいろ演出する意味もどこにあるのか謎。せいぜい時流への目配せ程度の効果しかないだろう。ミッドサマーといい、A24には徐々に不信感が募ってきた。

昔から通っている汚い定食屋に行きたかったが、厨房の家族の大半がノーマスクなのを思い出してやめて適当な店でカレー。夜フレンチ出してるからか、前菜がボリュームありうまかったが、カレーが普通。