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オンライン2コマ。オンデマンドなのでチェックのみ。

午後ユーロスペースキアロスタミ2本。

風が吹くまま』。多分以前一度観ているはずだがだいたい綺麗に忘れていた。今観直すと『ドライブ・マイ・カー』をどうしても想起してしまう。地元住民との心温まる交流をドキュメンタリータッチで描いているように見せて、実際にはその全ては老婆の死を待つ仕事の一環であるという、直接的に描かずに映画を撮ることそのものがはらむ暴力性を取り入れるスタンスも結構濱口作品と近いし、道端で拾った若者が助手席から現地の葬儀について批判的に語る場面なんかは運転席で話を聞く主人公と語り手を交互に真横から撮っており、『ドライブ・マイ・カー』の高槻独白場面はここを意識していたりもするのか、と。転がるリンゴを追うところや妊婦が翌日すり替わったのか子供が産まれている謎演出なども良かった。携帯に電話がかかるたびに丘まで車で移動する反復が可笑しいし良いリズムを産んでいると思うのだが、そこで顔が一度も現れない井戸掘りの男と何度か会話を交わす場面はいずれもとても印象的。その流れで男が生き埋めになるわけだが、そこで助けを求めていろんなとこ回りつつも撮影クルー探しているくだりが一番怖かった。なんなら死んだ時のこと考えてるのか?対象は違うけど葬儀チャンスじゃね?と捉えているようにも受け取れるあたり。

『ホームワーク』。宿題に関する子供たちへのインタビューをまとめたドキュメンタリー。冒頭と最後に軽く映る朝の体操でフセイン殺せとか子供に言わせてるのが怖かった。基本的に正面から子供の顔を捉えたショットと逆側からカメラマンを捉えたショットが連鎖させられる構成となっており、露骨に編集が加えられていること、フィクション性を強調するつくり。字の読めない両親が宿題を手伝えないこと、大半の家庭で体罰が行われていることが繰り返し語られるが、特にそれらを告発する意図がなさそうなところが不思議。体罰のせいか撮影にもびびって泣き出してしまう最後の子が詩を朗読するときだけ急にシャキッとするところがハイライトなんだろうが、それも無理矢理暗記させた教育の賜物かもしれないという疑念を残すようにあえて演出しているのか。

 

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午前1コマ。午後の大学は文化祭準備だかでなし。

昼はTOUKA CURRYで神戸SAVOYの出張カレー。欧風にしてはしっかりスパイスが効いた辛さでなかなか好み。地方のカレーが気軽に食べられるのは嬉しいものの、関税のつもりなのか実質値段が本家の1.5倍なのはさすがに高すぎでは。

ようやくコロナ状況落ち着いてきたのもあってびくびくせず喫茶店で長居。アーレント小泉義之

夕方今日もユーロ。キアロスタミ『トラベラー』。これは傑作。まず主役の面構えが最高。中身カラの写真機で子供たちのポートレートを撮っている場面を映画として撮影しているところが一番わかりやすく面白いけど、テヘラン移動後の展開も良い。締め方も見事だが、そもそも200でダフ屋からチケット買ってたら帰りのバス代が足りない計算なのもやや気になった。試合三時間前に客入りすぎでは、とかペルセポリス当時から強かったのか、などサッカーファン視点でも気になる点が色々。

 

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文化祭準備とやらで授業なしだったのでここぞとばかりに五所平2本。どちらも濃すぎ。

 

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朝から紅葉狩りでも、と思っていたのだが起きたの遅すぎて断念。

昼過ぎアテネへ。チャーリー・バワーズ四本。こんな人がこれまでずっと発掘されずにいたのかという驚き。

水道橋の庭園でも、と思ったがちょうど日没でこちらも断念。結局インドア週末からは抜け出せず・・・。馬喰町に移動してギャラリーaMで「約束の凝集」より高橋大輔RELAXIN'」展。結局「約束の凝集」は前回荒木氏回行けなかったので4/5でフィニッシュ。カラフルな紙粘土の作品が好み。今回も長谷川さんの文章良かった。絵画に起きる変化と生活の話。

小川町へ。コロナ前以来二、三年ぶりの神田まつや。並んでいたが今に限ってはそういうのも懐かしくてまあありかなと思ってしまう。やはり最高にうまい焼鳥、ニシンの棒煮、鰹のなめろう湯葉わさび、お通しの蕎麦味噌あたりをアテに今シーズン初の熱燗。最後はなめこ蕎麦と悩んだもののやはりシンプルにもりそば。同行者のきつねも少しもらったがめんつゆが思わずお礼言いそうになる滋味深さだった。そこから歩いて神田。これまた久々に友達数人が開催しているイベントへ軽く顔を出す。TelevisionとかNew Orderを久々にでかい音で聴いた。大勢で会うのもだいぶ久しぶりで楽しい時間であった。あとはBoss the MC言うところの「それよりもついにはお前が親か」案件がいくつか発生しており感慨深かった。

深夜ダメ押しでバワーズさらに二本観て寝た。Wild Oysters、可愛かったはずの牡蠣が汚いおっさん集団⇨戦隊ものの敵キャラみたいなバケモンと化していて笑った。

 

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朝はもらい物の味噌で味噌焼きおにぎり、味噌汁、玉子焼き、にんじんのラペ的なもの。もらった黒味噌なかなか美味かった。

和食を食べた流れで?昼から国立映画アーカイブで五所平二本。

帰りの電車でバトラー『アセンブリ』読み終えた。

帰り近所のフレンチLes deuxで両親の結婚記念日飯。家族で外食したのもほぼ二年ぶりか。シェフは変わっていなかったがいつの間にか内装と店名が変わっていた。牡蠣や鹿など美味かったが量の多さがなかなかのレベルでその後やや胃もたれに苦しむ。

帰宅後、トッド・ヘインズのデビュー短篇The Suicide(1978)。17歳の時に撮ってるのは流石にびびる。真っ白な部屋の便器に腰掛けて腹をかっさばく主人公の男の子。周囲の白と血の赤の対比。母親を中心にした家族と過ごす日常の白黒パート、外で同年代の子供たちにいじめられたり笑われたりじろじろ見られたりを少年の視点ショットで表現するややドキュメンタリー的なタッチのカラーパートなどが矢継ぎ早に編集され繋げられる。他の子供たちからの視線が痛い場面では、後の『わたしはロランス』あたりへの系譜も想起させるmale gazeの変形版への関心もこの時点ではっきりと見出せるし、すでに初期作の手法がわりと出揃っているようにも。

あとSix by Sondheim(2013)のヘインズ監督パートも。ブルーノートみたいな場所でパルプのジャーヴィス・コッカーがステージでSondheimの曲を歌う中、時代ものメロドラマ作品っぽい衣装と照明で紳士淑女何人かが演奏を観ている様子が時折挟まれる構成。まあ大したもんではないが一貫した要素はあるか。

明日の授業準備して朝方寝た。レーガン演説の日本語字幕あり版がどうしても見つからず結局オバマの就任演説をゆっくり扱う方針に土壇場で変更。

 

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昼までベッドから出られずも、なんとかオンライン2コマチェック。

Adrian Tomineの初長篇 Shortcomings(2007)を読み終える。自伝的な要素を露骨に入れながら、おそらく過去作でも一番ではというほどにはっきりと人種のテーマを全面的に扱っている。とはいえそこはトミネなので当然一筋縄ではいかず、単にポリコレ路線というわけでは全くなく、むしろ異人種への性的幻想をメインの人物たちの痴話喧嘩と絶妙に絡める構成をとることで、かなり際どいラインを果敢に攻めている感じ。あるいは2021年基準だとやや燃える部類に入る可能性もあるので、そのあたりそろそろ実現するらしい映画化では細かいアップデートがちょこちょこ行われる可能性はありそう。トミネがモデルの主人公とレズビアンの親友が出会った時のエピソードが特に印象的。基本的に気まずさや行き詰まりを描くことが中心のコミックではあるが、フラッグを指して君はゲイなの?って聞いてしまうところから始まる二人の友情の描き方は、偏見があったら即ゲームオーバーという印象があまりに強い近年の傾向とはまた異なる形で、異質な二人が最初の失敗がむしろいいきっかけとなって関係を育んでいく様子をリアルに表現しているようにも思える。各コマに書き込まれた情報の密度は異常とも言えるKilling and Dyingと比べるとそこまで激しくはなかった印象。彼女がNYで付き合っていたユダヤ系とネイティヴアメリカンのハーフの坊主男の部屋にイサムノグチの電灯があったあたりはKilling~の一本目の短編同様のさりげないノグチ引用であり、まあ日系人繋がりで親近感があるのかもしれないが面白いな、と。

その後明日の準備でSula該当箇所まで読み、日が落ちる前にいつぶりか不明なほど久々にランニング。といっても体力落ちすぎでほぼ普通の散歩になってしまった。そのあと腹筋背筋プランクも同じく久々に再開。分数は少し抑え気味にした。筋トレ後は新たに買ったグルタミン酸をはじめて飲んでみた。プロテイン以上に味しないがまあ飲めはするか。

夜はトッド・ヘインズ祭り。昨日からほぼ制作年順に観ていくことに。

Superstar - The Karen Carpenter Story (1988)。よくできた人形メロドラマにして偽ドキュメンタリーというとんでもない問題作。20代でこれを撮るというのはどういうことなのか。ダサいものの価値転換という意味ではまさに同時代のクィアなパフォーマンス群とも共振する内容。とにかく観終わった瞬間からカーペンターズを聴きたくなる訴求力がすごい。リサーチを重ねたという摂食障害や実際にカレンが飲んでいた薬などに関するドキュメンタリー的なパートが実に効いている。インタビュー、ニュースのフッテージなどの使い方も含め、その後の作品にみられる要素がすでに出揃っている感も。

Sonic Youth "Disappearer" MV (1990)。タクシーで?モーテルへと向かうカップルなどと演奏映像のオーバーラップ。時々ドラァグぽい人も路上に映り込んだり。ストーリーと言えるほどのものはなし。

Poison(1991)。ヒーロー/ホラー/ホモとそれぞれ名付けられた三つの短編がぶつ切りにされながら並行して語られていく実験的な構造。それぞれをバラバラに語らないならもう少し相互の短編に響き合う部分があった方が良かったのではという感じはした。「ヒーロー」は父殺しをした幼い息子をめぐるフェイクドキュメンタリー調。「ホラー」は化学者もの。学者が自らの開発した新薬を誤って飲んだことで感染症にかかる話。最新作然りだがコロナ禍で見るとまた違った見え方になる部分もあるな、と。これまたヘインズ自身の記憶とも結びついているのだろうが、顔に出来物が増えて以降の、周囲から主人公に浴びせられる視線を彼の視点ショットから執拗に入れ込んでくるあたり、安易な逃げ道を用意してくれない厳しさを感じた。「ホモ」はジャン・ジュネの原作を参照した監獄もの。直接的に同性愛場面をどんどん描くあたりが眼目かと思うが、多作とのつながりという点ではやや浮いた小品か。

Dottie Gets Spanked(1993)。主人公の男の子がのめり込んでいくスパンキングはやはりなんらかの形で本人が固着している要素なんだろう。家族そっちのけで夢中になったTV番組のドラァグ的な主役女性が放送中にスパンキングされる箇所の撮影見学に行きぶっ飛んでその光景を絵にするが覗いてきた父親にバレてめちゃ怒られたりチャンネル変えられそうになり、関連してスパンキング関連の悪夢とかも見る。最後は尻叩きの絵を折ってアルミに包んで近所の土に埋める。

夜中、これまたいつぶりだという久々さで日記を。ようやく薄ぼんやりとした不安期が終わってきた感もあるので、ここのところほとんど手がつけられなかったいくつかの活動をなんとか日課にしていきたいところ。

 

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対面で2校3コマ。普段なら疲れ果てて夜は使いものにならないのだが、やること多すぎで仕方なく帰宅後映画2本。食事しつつ試写一本。その後サッカーまでにもう一本。

ヘインズ『SAFE』(95)。2000年代以降のメロドラマもの見直してみないとなんとも言えないが、もしかしたらこれが彼の最高傑作なのではという充実ぶり。中盤までは豪華な邸宅に暮らしつつ孤独を深めていくジュリアン・ムーアを見事なカメラワークで捉えた展開が続く。なかでも自宅内のショットはいずれも素晴らしい。はじめてサーク的な要素を全面展開した作品とも言えそう。ただそれ以上にすごいのが突如雰囲気が一変し排ガスなど化学物質へのパラノイアに彼女がはまりこんでいく展開。移住以降の展開の気味の悪さは特筆もの。過去二作同様エイズをめぐる曖昧模糊とした不安が裏に張り付いていることもあってか、並々ならぬ切迫度。プロデュースしたライカートの『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』(2013)や同作で共同脚本家いたレイモンドのRain Dragon(2012)への系譜もありそう。実際のニュースのフッテージ映像などとカルト団体の宣伝映像を交えた偽ドキュメンタリー的な形式が、結局は彼女の不安を解消する何かが見つかるわけではないという結末と完璧に呼応している。最後の場面でカメラを向くムーアの表情の曖昧さは、おそらくは同作を意識したと思しき最新作のラストカットにはないもの。

オマーン戦。前半はあまりに酷すぎてぶったまげたが三苫のおかげでなんとか首の皮一枚で繋がった感じ。

 

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一コマ。

ヘインズ『ダーク・ウォーターズ』。

夕方『ベルベット・ゴールドマイン』。

夜は集中切れて全然ダメだった。

 

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ヘインズ『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』。ルーとジョンの生い立ちから各メンバーの加入、解散までを時系列で辿り、最後にその後のそれぞれのソロ活動についてもばーっとまとめて振り返るスタンダードな構成。まず目についたのは、ゴダール映画史かというレベルで当時のNY周りの重要な映像がなんの注釈も無しに大量に差し挟まれるところ。ちょうど最近見たバーバラ・ルービンやジャック・スミスの作品からのフッテージもさりげなく使われていたが、いずれもスプリットスクリーンだったりメンバーの語りと同時に流れてたりでまあ知らん人が見てもなんだかわからん使われ方をしていたし、おそらくは他にも私がわかっていない似たような例が大量にあるのだろう。2ndまでの圧倒的な出来とその後の落差があるのはまあ誰もがわかっているところなんだろうけど、そういう中でも3rdでドラムのモーリン・タッカーが「アフター・アワーズ」のボーカルを取ったことについてルーが回想して「最初は自分がラメ入りのスーツ着て歌うつもりだったけど、まだ聴く側に受け入れる準備ができていないと思ってモーリンに任せた」、というようなことを語っていたのを抜いてくるあたりはさすがだと思った。もう一つ印象的だったのは高校生の頃にヴェルヴェッツのライブに数十回通い詰めて前座もやったというジョナサン・リッチマンの述懐。テクニック的な部分の解説としても面白いし、同時に『ベルベッド・ゴールドマイン』でクリスチャン・ベールが演じていた元大ファンの記者、つまりはある程度ヘインズ自身が重ねられた立ち位置を思わせる部分もあった。「スーパースター」から一貫して言えることだが、観終わった後ヴェルベッツの曲をめちゃくちゃ聴きたくなるだけでも作品としては大成功ということだろう。とはいえ、初期の偽ドキュメンタリー志向との関係を考えたときに、監督がというよりは世の中の流れのように思うが、ダーク・ウォーターズ同様に虚構としての強度にあまり関心が向っていないように見えたところは少々気にはなった。

授業準備終わってから文化祭期間で授業ないことに気付く。外に映画観に行きたい気分ではあったがそれどころではないので仕方なく家でWEB試写。『スティール・レイン』、意外な掘り出し物だった。