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522

土曜だというのに夕方までひたすら授業準備。前期の残りで使うTed演習のオンデマンド資料をまとめて作る。TED全体でもかなり有名なチママンダ・アディーチェの二本、それほどパンチラインがあるわけではないが分かりやすいアクチュアリティはあるので多少は響くと良いが。あとはヒルビリー・エレジー回なども新しく加えた。

夜はウーウェン自炊。牛肉の唐辛子炒め。醤油入れ忘れ、牛肉炒めすぎでややパサパサに。あと蕪とレタスのなんか。

そろそろ観ないとどうにもならんミニシアターエイドから『お嬢さん』。ブス/美人の対立で押す脚本がどうにも耐え難かったのと、全員ENBUなのかわからないが素人っぽさが残りすぎているように見えた各俳優の演技が自分には全くはまらなかった。美人は美人で抱えている闇をポリコレを気にしすぎず描く、といった路線なんだろうというのはわからなくはないのだが、監督が演技がうまくないと判断したであろうメンバーの雑な扱いなども含めて色々と必要な配慮が足りていないところがあるようにも。四宮氏の撮影はわりと好きな方だと思うのだが、本作での手ブレ、長回しの多用についてはあまり奏功しているとは感じなかった。

デヴィッド・バーンがルアカ・バップというレーベルから出していたらしい、アフリカのサイケ音楽ばかりを集めたコンピレーションの3枚目をたまたま飲みながら聴いたらかなり好みだったのでApple musicで探したところ、コンピ全5枚がちゃんと入っていてびっくり。1枚ずつ聴き込みたい。

 

523

ラピュタ昼の回がまさかの売り切れだったので、南阿佐ヶ谷PRABHATでノンベジミールス、高いけどうまい。店主の思想がやや気掛かりではあったがまた行くと思う。

ラピュタで『暴る!』。序盤に出てくるセクハラ刑事二人を除きすべての男性登場人物がレイプ魔という信じがたい設定が見事に活きていてめちゃくちゃ面白かった。社会人レイプ魔を追ってきたマッドマックス三兄弟みたいな男たちのレイプ相手がそっちなのかとか、終盤の激突やヒッチャーのような怖すぎるカーチェイス、決めまくりのラストシーンからのエンドロールへの流れ、謎にかっこいい劇伴のジャズなどあらゆる要素が最高。シンチェリータでピスタチオとストラッチャテッラ。同行者の紅茶のやつが一番うまかった。駅近の古本屋が妙に安かったので色々買ってしまう。

夜、豆腐と蕪の梅煮、冷たい和え麺、みょうがと蕪の葉和え。『暴る!』が良すぎたので流れで同じく桂千穂脚本の『(秘)ハネムーン 暴行列車』をアマプラで。冒頭の強盗未遂と結婚式からの男×2+ドレス女の脱走という意味不明すぎる展開だけでお腹いっぱい。駄菓子屋での即席ストリップ、またもひどい目にあいまくる八城夏子、なぜか『暴る!』同様にピンクレディーがかかる中ナポリタンを食う女の描写など、見どころだらけ。ピンクレディーかける時は毎回歌詞と展開をリンクさせようとしてくる謎の悪ふざけにも笑ってしまう。二本とも尺含めてめちゃくちゃB級アメリカ映画なのも良かった。

 

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午前オンライン2コマ。オンデマンドなので今年度は予約投稿をなんとか使いこなそうとしているんだが毎週なんかしらの資料公開をミスっている気が。毎週当日に確認して焦る展開に。操作性が良くないのもあるが、さすがにそそっかしすぎ。

銀行と大学の生協、図書館に寄りたかったのだがオープン時間と天気の兼ね合いで自転車で行くには微妙な感じに。例によってアメッシュとにらめっこするも結局は断念。その分他の仕事を進めればよかったのだがうまくいかず。

『はこにわ虫』。予想以上に、びっくりするぐらいガロ。いましろたかし『未来人サイジョー』。正直言って『原発幻魔大戦』についてはずっと読むのがしんどくて、もう新刊買うのやめようかとも何度か思ったが、昭和へのタイムスリップというベタな大ネタを一つかませるだけでここまで完全復活するとはびっくり。政治をめぐる状況がひどすぎて怒る気力すら失せてしまったのかもしれないが、こちらとしては大歓迎。今回ぐらいのバランスのものであればずっと読み続けたい。そんなうまい話が、と思ったところですっと我に帰る展開もいい塩梅だし、半自伝的なところもうまく作用していたような。

Puar "Bodies with New Organs"(2015)、高度に理論的かつアクチュアルな状況への応答の要素もありなかなか面白い論文ではあったが、さすがに学部2年生に予備知識なしで読ませてよい代物ではなかった。

 

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オンラインで3コマ。昼食後磁気不良のカード交換のため銀行行った以外は外出せず。数分止めている間に嫌がらせをされたのか自転車の前輪がパンク。

ケリー・ライカートCertain Womenの傑作百合エピソードの原作前半。主人公のポリオなどの障害設定と兄への劣等感と対女性のぎこちなさの結びつきを指摘する声多し。この時点では彼に同情的かつベスのおざなりな接し方に批判的な意見が多かった。後半どうなるか楽しみ。

諸事情により障害学の論文を立てつづけに読んでいる演習は、さすがに論文が難しすぎて発表の学生さんたちに申し訳ない展開に。来週以降でどこまで修正できるか。

3コマやった日の夜はあまり使い物にならないことにも徐々に慣れてきた。湿度がやばいのもあり、頭働かず。数年会っていない友人の個展のオープニングトークの動画を見る。コロナじゃなければ展示行きたいところなのだが、どこも開いていない京都にこのタイミングで行くのもどうなんだという。さらばのyoutubeいくつか。このタイミングで競馬企画やるのもさすがだし結果も神がかっていた。あと『ニューヨークで考え中』一巻を。

 

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対面のため寝不足のなか早起きし遠出してきたのに2限が体育祭で休講というまさかの知らせを聞き脱力。オリンピック強行する国の大学だけあるが、正気を疑う。1コマやって帰る途中で上映情報を入手、慌ててアテネへ。ハリウッド黄金期唯一の女性監督だったらしいドロシー・アーズナー監督作二本。

『人生の高度計』(1933)。キャサリン・ヘップバーンの初主演作。女パイロットかつ蛾のコスプレもしちゃう彼女のかっこよさと可愛さが全開。ヘップバーン演じる主人公にどこまで女らしさを付加するか、というあたりで当時の偉い人たちとのせめぎ合いがあり、この辺の落とし所になったんだろうと想像しつつ観た。プレコード期だけあって不倫しまくりの現代的な展開もぐっとくるものが。

『恋に踊る』(1940)。男をめぐってステージで殴りあい、裁判までしといてカラッと仲直りする踊り子2人の河原で喧嘩する青年たちのような爽やかなシスターフッドに感涙。主人公がステージに窃視的な視線を向けエースであるバブルスちゃんのかませ犬である彼女に野次を飛ばしまくる客を睨み返し演説するところは、悪い意味でfemale gazeって感じで説明臭さも相まってそんなに最高、とは思わなかったが、その後普通にキャットファイトが始まり、しかも絶交しないのはめちゃくちゃ良かった。推しはキャラ的にも見た目的にもルシル・ポール=バブルス。最近のだと『ハスラーズ』のJローとかにも通ずる姉御ノリ。

移動中にトロント『ケアするのは誰か?』を。

 

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対面2コマ、オンライン1コマ。移動中に熊谷晋一郎『リハビリの夜』を。

 

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2コマ。アテネに移動してエンゲル=オーキン関連作三本。オリジナルの35mmカメラを用いたドキュメンタリータッチの作風がカサヴェテスやヌーヴェルヴァーグに影響を〜、という惹句に惹かれて。

『小さな逃亡者』。大傑作。兄とその友人に担がれ銃で遊んだ末に兄を殺してしまったと思い込んだ弟が、一人兄の大切にしていたハーモニカを持ってコニーアイランドへ。徹底して運動と「欲望の感染」に焦点を当てているのがすごい。その中でオリジナルカメラを使っていることもあってか、例えば偽銃撃場面のモンタージュ写真屋での上下反転をめぐる短い挿話、鏡に映った自分を見つめる場面などで、「映画とは、映像とは」というテーマもさりげなく差し挟まれる。兄たちが目の前でやっていてなかなか仲間に入れてくれなかった野球遊び、本来であれば弟を置いて彼らが行くはずだったコニーアイランド。当地に向かった弟は、射的とボウリングでボールを投げることに異様にのめり込んでいくが、これは冒頭で自分が参加できなかった遊びを再演することで、その意味で銃撃ごっこにもつながる。ごっこというとその後はまる乗馬もそう。冒頭で言及された弟自身の得意分野と重なりつつ、弟は指名した係員の指導のもと、西部劇の主人公を演じるようになっていく。繰り返し遊ぶために小銭が必要となるが、空き瓶を集めて小金を得る方法も、浜辺で会ったやや歳上の男の子の行為の模倣である。空き瓶回収→遊び→空き瓶回収の無限ループでも退屈させることのないよう、編集で省略するところと残すところのバランス感覚も見事。模倣の反復を通じた成長、みたいなテーマもうまく表現されていたような。

この何もかもが流動的に動きの中にある感覚は文字についても言えて、兄がチョークで遊園地内に書く弟へのメッセージは、次々に現れる別の客のいたずらによってその意味を変えていく。地面や壁にチョークで書き込んだ文字を消したり修正したりするというモチーフは明らかにエンゲル=オーキンにおいては重要なものとなっているようで、次作『恋人たちとキャンディ』でも娘がカバと母の恋人の名前が同じことをからかう書きこみを足で消そうとする場面が出てくる。

『恋人たちとキャンディ』。幼い娘を持つ未亡人とその彼氏、三人の関係性を描く。子供の演出を超えた動きや表情を機動性の高いカメラで追っていく構図は前作とも共通。前作の遊園地に代わって、今度は動物園やデパートでのゲリラ撮影でリアリティを持ち込もうとしていた。

『結婚式と赤ちゃん』、結婚に踏み切れない結婚式と赤ちゃんだけ扱う写真屋で何とか生活する貧乏移民カップルの物語。同時録音で祭りの様子を記録しているあたりがキモなのか。おそらくは設定もハリウッド的な夢物語へのカウンターとしてのリアルNY若者移民ライフを記録するという狙いが先にありそうな感じだった。男の方の煮え切らなさと表裏一体のマウント取りに行く感じがなかなか厳しかった。

休憩中に友達が言ってたが三本とも全部父親が不在、というのも確かにそうだなあと。何かしら当人たちの環境が反映されているのだろうか。

夕食後、資料を探している間にラジオ的に聞いていたシネフィル軍団のスペースにいつの間にか参加してだらだら喋っていたらあれよあれよという間に朝になっていた。

 

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やや寝不足のなか、昼から馬喰町へ。土曜しか開いていないというスーパーおしゃれ雑貨屋を冷やかした後、フクモリで魚食べて、ギャラリーaMで黑田菜月「写真が始まる」。3つ見てきた「約束の凝集」シリーズではここまでの個人的ベスト。

「友だちの写真」、2枚の写真をめぐるゲームという小さな仕掛けが絶妙な距離を生み、今度はその距離がそれを越えようと試みる新しい言葉を生む呼び水となる。なんとなくやっているようでかなり考え抜かれた仕掛けになっていることが見ているとだんだんわかってくる。キュレーター長谷川さんとのインタビューで出ていた「批評と制作」というアナロジーがまさにはまるな、と。写真の持つ暴力性や「危うい側面とか、結局写真は単なる写真でしかないってこととか、そう言ったことを一度受け入れて、それでも続けているのがよくわかる」という長谷川さんの評、および「「自分のほうがより厳しくて不毛な荒野にいるんだ」ということを競い合うのをやめよう、ということ」、という作品の映像に向けた言葉には膝打った。本作における「荒野からの帰還」の有り様からは、批評アレルギーとかファンコミュニティの自閉みたいなトピックへの処方箋の一つとしても考えられるようなポジティブさを受け取ることもできそう。言葉にできること、写真にできることを適切に突き放しつつも同時に信じること。

「部屋の写真」においても、撮影者である黑田さんと写真に撮られた部屋に住む被介護者を一切映さずに、あくまでもその部屋に通ったデイケア介護者の視点から写真を語り直す、という設定が見事に機能していた。写真と言葉の関係、映像における写真の位置、という点でユスターシュの『アリックスの写真』あたりを想起したが、撮影者が第三者に写真について語るユスターシュ作品と比べてもより間接的になっている点と、デイケアというこれまた微妙な距離を挟んで写真に映る空間と関わった人が語り手となっている点で、より写真と言葉のズレがクリティカルに前景化していたような。整音が黄永昌さんだったこともあり、どことなく濱口・酒井の東北記録映画三部作を思い出しもした。

行くはずの映画間に合わずも、天気良かったのでぶらぶら。ムーンドッグ感のあるアロハシャツをかなりの安値で購入。

夜自炊はフォー、ウーウェンから香味野菜の白和え、卵とトマトの炒め物。卵トマトはべちゃちゃになってしまったが味は問題なし。もうちょいトマトが崩れないように炒め時間に工夫が必要そう。

ミニシアターエイドから堀江貴大『いたくても いたくても』。映画よりプロレスが好きなのでは、と疑いたくなるほどに正しいプロレス要素に満ちた映画で好感持った。クドカンドラマの能に勝るとも劣らない通販会社×プロレスという無茶すぎる組み合わせを強引にまとめきるセンスは次作以降にも期待持てそう。映像面では特にハッとさせられるところはなかったので、案外映画というフォーマットにこだわりすぎないほうがいいのではという気もした。

 

530

寝起き悪し。昼食を挟んで前後でCL決勝観た。チェルシーの完勝。カンテはもうバロンドールあげてもいいのではないか。シティは色々起用ミスっぽいところがあったのに加えて、頼みのデブライネが怪我したのが痛かった。

明日の2コマ準備。去年も学生さまに見てもらったロクサーヌ・ゲイの動画、今年も彼女が言うgood/badの解釈を間違えている人がめちゃくちゃ多かった。一回でもひねりが入っていると解読しにくいということなのか、そもそもちゃんと観てないのかどっちなんだろう。夕方以降、遊びの予定を断り酒を飲まないことに全精力を傾けてしまったためか終わらせるはずの事務仕事何もできず。さすがに寝る前自己嫌悪に陥る。

 

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午前オンデマンド2コマ。

Twitterで見かけたので、cinefilに公開時にアップされていたっぽい『まともじゃないのは君も一緒』チームの新作とスクリューボールコメディ史を絡めた鼎談を読む。まともじゃない字数だったが黄金期にとどまらず『ミニー&もスコヴィッツ』やファレリー兄弟、アパトーギャングなどにも迂回しつつ近年のアーロン・ソーキンの独自性を強調、他方日本では川島雄三をはじめ増村、森崎、濱口「永遠に君を愛す」まで言及されるめちゃくちゃ面白い内容。完全に自分の趣味ラインど真ん中であった。森崎×高橋洋×色川のドラマでデビューしたっぽい根岸洋之プロデューサーの貢献がどこにあったのかがよくわかった『婚前特急』の製作秘話も良かったし、何よりファレリー兄弟ベストは『ふたりにクギづけ』、で一同意気投合しているあたりに嬉しくなった。全然言及されていなかったから黒歴史認定なのかもしれないが、未見のハワイのやつも観ようと思う。

午後久々に大学へ。図書館でいくつか返却、取り置き分含めてまあ資料だから・・・と言い訳して大量に新刊購入。帰りに事務仕事進まんのは髪の毛がうざいから、という謎理論でこれまでにないぐらい髪を短くしてみたが結果ヤバ目の半グレみたいな髪型になってしまった。合計で自転車1時間半弱。

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禁酒法と灯火管制のせいで飲み屋と映画館今日までの場所多し。駆け込みで国立映画アーカイブ宮崎駿魔女の宅急便』なんと今更はじめて観た。どうも後で聞いたら違うらしいが舞台はロンドンっぽさあったし、いい部分(人情)も悪い部分(ウーバー感)もかなりケン・ローチみがあった。案の定特集は今日までに。『火祭り』観直すはずだったのに・・・。

アテネに流れて駆け込みで瀬々敬久初期作三本。「ギャングよ〜」の菜の花畑、『獣欲魔乱行』の土管、テトラポット、廃墟のホテル、キャンピングカー、『牝臭』のドア縦開きの車。とにかくロケ地とガジェットに唸らされる場面だらけ。特に『獣欲魔乱行』は大傑作。3本とも現在の気分にぴったりハマる閉塞感に満ちていた。

夜、旬素材ウーウェン自炊。蕪とクレソンの和え物がなかなかうまかった。ワサビにこだわればもうちょいよくなるのか。筍と春キャベツのスープはほぼ味噌汁だった。新玉ねぎ丸ごと煮、二回目は梅干し昆布ダシでやってみた。うまかったが梅がやや甘めだったか。

 

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三度目の緊急事態宣言。昨夜からどこの美術館や映画館が閉まるのか一通り調べる。「香典のつもりか」のユーロはじめミニシアターの一部は呆れ返るとともに腹くくって営業続ける模様。浅草や末廣亭など寄席は休業妖精の「社会生活の維持に必要なものを除く」という文言への解釈(寄席は必要)を明示することで堂々営業宣言をしていた。一休さんみたいで良い。とりあえず自分はもともと行く予定だった映画や寄席に粛々と通うことしかできない。大学の授業については都内は全てリモートに。予想はしていたが埼玉は完全無視の模様。県外の移動をスルーしてどうするんだという気はするがもはや突っ込む気力なし。

ジジェクの日本オリジナル編集版『ロベスピエール/毛沢東』からバートルビー章。要は決して心からは信じていないけどあえて従っている式のシニシズムとも無縁ではない、カフェイン抜きコーヒーならぬ「暴力抜きの革命」に対して、しないことを「好む」バートルビーの不気味な姿勢を対置、ということなのか。抵抗や反抗の鋳型にはめるのではなく、彼固有の不気味さと向き合うこと。『パララックス・ビュー』末尾の適当すぎるノーマン・ベイツとのアナロジーの狙いもおそらくこの辺にあるということだろう。

辺見庸の『たんば色の覚書』も一応流し読み。自身も病魔と戦う中で、死刑囚にバートルビーを薦めようとしていた。

夜は信じがたい忙しさだった四月の締めの一つとして論文提出。すでに内容はできていたものを規格に合わせただけだが、そんな作業をする体力と気力がまだ残っているだけ偉い。さらに月曜のオンデマンド授業の資料を2コマ分アップしてようやく寝た。偉すぎる。

 

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日曜に働きすぎたせいで事務メールいくつか処理した後夕方まで使いものにならず。最近月曜日は大体作業うまく進まないがまあしょうがない。これ以上頑張っても寿命が縮むだけなので徹底的にだらける。

今年のオスカーは昨年に続くアジア系に加え、年寄りの活躍が目立つ結果に。『ミナリ』のユン・ヨジョンの笑えるけど毒もある発言はどれも映画からそのまま出てきたかのようだった。主演男優賞の結果でまた色々もめそうだが、まあボーズマンのもアンソニー・ホプキンスのも観てないので適当なことは言えない。とはいえ、個人的には亡くなったから賞あげるみたいなのも死んだインディアンはいいインディアン的な違和感あるし、別に良かったのではと。とりあえずホプキンスの受賞作は観たい。詳しい出自全然知らなかったが、クロエ・ジャオが超金持ちの生まれでああいう映画を撮り、それがアカデミーで受賞した事実は中国国内ではなかったことにされる、という全体図は下手したら作品そのものより興味深かった。まあそもそも公開延期になってるもの多すぎ、一部リモートとかもあってとにかく小粒で地味な印象。

夜小倉さんのバートルビー+コンフィデンス・マン論を。バートルビーにおける法律家とバートルビーの関係を失敗した友情関係になぞらえ、そこにさらにメルヴィルと読者の関係を重ねていく構成は面白かった。関係が実際にうまくいくことはなく、いずれうまくいくと信じることもメルヴィルにはできなかったが、偶然関係が好転する可能性を完全に捨てたわけでもなかった(読者を得る可能性を完全に切り捨てていたわけではなかった)という結論はやや微温的では、とも思ったが、模範的な査読論文としてはこのぐらいの手堅さが求められるバランス、という気はする。

 

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今日から1コマ対面もリモートになり自室で3コマ。これはこれで別種の疲れが。昼に振り込みで郵便局行った以外外出もせず。わずかな時間で二度も救急車見て怖かった。インド株で色々やばいことになっているのだろうか。

ケリー・ライカート関連の演習はとりあえず『オールド・ジョイ』の映画版と原作の比較まで終了。原作への細かいアレンジがどれも絶妙に効いていることが判明。

 

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 昼2コマから帰って必死で準備の仕上げ。夜バートルビー連続講義最終回。まあ最低限の役割は果たせたか。自分は仕事あったのだが翌日祝日だしと軽い気持ちで打ち上げWeb飲みに突入したら結局2時まで。

 

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二日酔いの中祝日にもかかわらず2コマ。腹いせに移動中の時間でラファルグ『怠ける権利』、帰りにシネマヴェーラでB級ノワール2本。アンソニー・マン『脱獄の掟Raw Deal』、ジョセフ・H・ルイス『ベラ・ルゴシの幽霊の館Invisible Ghost』。脚本・撮影最高の前者は旧作年間ベスト候補。最初から最後までちょっとずつこちらの予想を裏切り続ける展開面白すぎ。後者はゆるゆるの脚本に苦笑もベラ・ルゴシかわいかった。

 

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2コマ。バートルビー講義の積み残しや打ち上げで色々聞いた流れで本買ったり読んだり。『中動態の世界』の『ビリー・バッド』論をバーバラ・ジョンソンの論文とまとめて読み直し。大和田さんのユリイカ論文にしても國分さんの論考にしてもジョンソンの批判、歴史化の部分には納得。最近の学会誌とか読んでいて、特に19世紀文学とかだとさすがにネタ切れがひどく、キャノン化した研究の歴史化ぐらいしか挑発的な読みを提起する筋がなくなってきてるのか、とか漠然と考えていたが、2002年とかの段階ですでにその方向で書かれたものも全然あったことに今更気づいた。

『中動態の世界』ジョンソンともう一つ大々的に取り上げられていたアーレント『革命について』も読むか、と思ったが前作を途中でやめてたことが判明したのでまず『人間の条件』に戻ることに。

3

 

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昼から某最終講義。終わってから遅れていた書評原稿をなんとか仕上げる。夜はチケット買ってしまったエヴァの復習で破とQを。

 

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ホワイトデーの昼から渋谷で豊田道倫ソロライブ。おそらく去年の一月のMoodyman以来なのでだいたい400日ぶりぐらいのライブ。まあ椅子有りなら映画館と一緒なので特に怖さはなし。モッシュピットとかはまださすがに行きたくないが。とはいえ遅れて来て横に座ってた客がほぼ常になんかしらの動きをしてて大層気が散ったし、あまりに髪を弄り回すせいでそこから花粉が飛んできたのか鼻もえらいことになってしまったが、そういう不快な客と隣り合うのも考えたら久々だと妙な感慨にふけってしまった。

冒頭から若い女友達とモーニングした話などの色っぽい駄話を交えつつ、最近の曲多めのライブ。わりと昔のもので覚えてた曲は「ゴッホの手紙、俺の手紙」の一人バージョンぐらい。この曲はもともとバンド編成の曲だからだろうが、皆が知ってる曲はアレンジ変えたりする様子に少しディランの来日を思い出したりも。はじめて聞いた「赤ん坊みたいな50歳」で始まる曲がすごすぎた。最近特に一時期カリスマ化した人ほど、50代で本格的に時代とずれて老害化していくパターンがめちゃくちゃ多い中で、いつまでも赤ん坊みたいでいられる彼だけが、どう考えても歳をとるほどどんどんかっこよくなっている。自分は一切の虚飾抜きで、でも赤いジャケットとサングラスでかっこつけて人前に身を晒せるような50代になれるだろうか。最後の曲で少し泣いた。

夕方からTohoで『シン・エヴァンゲリオン』観た。以下ネタバレ。

 

 

Takeshi'sかつトイ・ストーリー4というか、失敗を運命づけられた蛇足としては最大限頑張っている感じはあった。作品として好きかと言われると好きではないけど、ゲンドウがあの電車に座っているシーンではボロ泣きしてしまった。まあ全部回収するためには二人が対峙するしかないというのは予想はついていたが、あんなにあっさりと父側から降りてきてクソダサい独白を長々あの声で始めるとはさすがに予想していなかったので、ついに庵野が還暦にして自己の中二性と正面から向き合ったのか、と妙な感動を覚えてしまった。自分はあまり思い入れのある世代ではないが、少し上の直撃世代の先輩たちを見ると、95年当時はおそらく庵野=シンジ=自分で感情移入しまくっている人がほとんどだったと思う。今回は自分の観た印象では庵野の中ではかなりの部分シンジではなくゲンドウに自分を仮託しているところも出てきていたような気がした。稲葉さんが書いていたように製作陣がヴンダーと考えるといろいろつじつまが合うところもあるな、とは思うが、まずはあれだけわけわからん用語を適当に振りまいて計画通りとか言ってきた男に「人付き合いが苦手だった」とか言わせてしまう素直さはすごいな、と。序盤のいや俺も『風立ちぬ』出たしね、ということなのかよ、「おもひでぽろぽろ」かよとツッコミたくもなる第三村の宮崎駿ー高畑ラインの里山感丸出しの村設定がわりと延々続くところは最初は勘弁してくれとなったが、まあこういうの見て育ったんで、これでいいわけでもないと思うけど、一応入れときますね、ぐらいの距離感だったのかも。最終的にみんな大人になってつがいを作って子供産んで社会に貢献します、みたいなシンゴジラ以上に真っ当な定型発達礼賛ぽい締め方には、スキゾとかパラノとか言ってた頃もありましたよね・・・とか思ってしまったが、とにかくメインキャラ全員成仏させなきゃ、というのは感じた。(RP1と同様、別に現実>虚構とか言ってるわけではないだろ、と言ってる人がいたのはまあそうかなとも。)そのモチベーションは必ずしもキャラクターや物語への愛着とかでもなく、スポンサーめちゃくちゃいたり社長だったりとも関わってそうで微妙だなとも思ったが、それも素直ということか。あと、特に中盤からは謎の一色ベタ塗り空間でのごちゃごちゃが続くせいで映像面がしょぼすぎて、アニメとして面白さを感じる部分はほとんどなく、最後に歴代エヴァにグサグサ槍が刺さるところとか首無し綾波集団とかはなかなかに厳しかった。とはいえ、よくこんなもの作ったなあとは思う。

で、古参ファンの諸先輩方の感想など確認できる範囲で巡回してみたが、やはり旧劇みたいに庵野に突き放されたかった派?の人たちはみんな怒っていて、そういう感想を読めたのもまた嬉しかったり。特に七里さんのものなどからは、久しぶりにはてな時代を思い出したりしてしまった。知ってる人以外のもので面白かったのは、破のゲンドウ鍋パ実現世界線について妄想してる人と、鈴原サクラ怪文書という一連の書き込み。おそらく他のキャラの行動原理や到達点があまりにも多義的な解釈を許さないトゥルーエンド的なものばかりだった反動なのか、唯一感情的になって銃をシンジに構えたりとわかりにくい行動をした彼女の心理を読むことに従来の深読みしたいファンたちの気持ちが吸い寄せられたということなんだろうか。謎本的な解釈の欲望の唯一のはけ口、と考えるとなかなか興味深かった。

例によって店が閉まるぞということで近くの立ち食い回転寿司。かなりのスピードで食べられることがわかったので時間ない時にはいいかも。

寝る前にかなり久しぶりにカップヘッドやったがもう全然クリアできず。難しすぎる。

 

315

午前中、近所の公園。目当ての読書スペースは定休日だったのでベンチでしばらく本読んだが、日光は気持ちよかったものの案の定花粉で鼻が死亡したので早めに退散。

しばらく昔のKPOPアイドルの動画を見ていたらなぜか数時間が経過。夕方にかけてしばらく放っておいたヒース、アンドルー・ポター『反逆の神話』読み終える。印籠のようにヒース持ち出す逆張りの人もそれはそれできついが、ヒースより普通に〜ナオミ・クラインが好き〜な人は周囲に結構いるのでそれもきつい、というところから出発してどうするか。

意外と似てるのか、という連想から飛ばしてたジェイムソン『アメリカのユートピア』のジジェクと柄谷のやつを。何となく思ったこととしては、グローカルがアツいよね、といった左翼に対してダメ出ししている点では実はジジェクやジェイムソンもヒースと出発点は同じ、かつ特にジェイムソンが強調してジジェクも評価している点として「共産主義においても羨望と敵意がなくなるわけがない」という主張があるわけだが、羨望の位置を重視しているところも実はヒースと重なっていたりする(ジェイムソンとジジェクラカンに依拠する一方、精神分析ディスるヒースが頻繁に持ち出すのはヴェブレンの消費社会論と言う違いはあるが、実はそんなにそこの差は重要ではないような気もする)。まあ特にジジェクマトリックスとかゼイリブとかバートルビーが大好きで反逆的消費者ポーズ丸出しのところもあるのだが、どの程度確信犯でポーズでやってるかとか、どこにヤケクソで闘争するポイントを置いているか、とかは考える必要があるのかも。

一方でジェイムソンの国民皆兵制という提案は、考えるほどヤケクソの悪い冗談としては面白い気がしてきた(週末に聞いた福沢の「瘠我慢の説」を今あえて「失われた大義」として召喚する手つきもこの辺と近いヤケクソさを感じた)が、経済の領域と文化の領域、下部構造と上部構造の徹底的分断を措定して政治そのものの過程を消去する、というのがうまくいくわけないし、ジジェクのツッコミはわりと痛いところをついているような気もする。毎日四時間ぐらいみんな働いてあとは好きなことしようぜ、的な提案に対して「こうしたことは可能だろうか。卑猥な快楽は、義務としての規律された行動をつねに汚染しているため、そういう行動に快楽を覚えることにならないだろうか。また逆に、軍事的規律は快楽をすでに汚染しているため、快楽は課題としてなされる義務にならないだろうか」(323)。あと、ジェイムソンの数時間の拘束時間以外にクリエイティヴなことでも何でもしたら、みたいな結論は、ちょっとグレーバーの『ブルシット・ジョブ』の胡散臭さともつながっているところがあるような気がする。パッと思いつく範囲だと、もしジェイムソンやグレーバーがいうように自由な時間が増えたとしても、結局そこに羨望と敵意がめちゃくちゃ絡んでくるに違いないというところか。あんたらみたいにみんな本書けたり、アート活動に勤しんだりするわけではないよというか。

ヒースの方は逆に対左翼のディスり芸の面白さで下駄履かせて評価したくなってしまうが、反論じゃなくてストレートな主張として何言ってるか、で考えるとめちゃくちゃ微温的だったりするところがまあ問題という感じはする。あと著者たちに言ったら嘲笑されそうではあるが多少は的を射てそうなツッコミとしては、カウンターカルチャーに代表される消費文化というのは要するにほぼアメリカ文化のことで、カナダ人の著者二人による対アメリカの羨望混じりの競争意識から発した攻撃性が必要以上に過激な批判の仕方として文中に随所に現れてはいて、それはわりと精神分析的に解釈することもできるだろう(その意味で日本の若いヒース好きが京都の人とかなのも妙に納得してしまうところがある)。競争的消費が「底辺への競争」を生んでしまう流れあたりの議論はとても説得力あったのでヴェブレンはちゃんと読もう。あとどうでもいい細部ではセリーヌ・ディオンのダサさをカナダあるあるかつグローバルギャグとして通じると踏んで書いてそうなのが面白かった。グザヴィエ・ドランが読んだら怒りそう。

 

316 

午前中、現代思想2月号「精神医療の最前線」を。毎年イマーゴぽいこの特集だけは金払って買っている。東畑・斎藤対談の具体例に根ざした話は勉強になった。小泉義之中井久夫批判はあまり考えていない方向からだったがまあ著者の日本版「狂気の歴史」みたいな近年の仕事からすると納得の切り口か。他、村上靖彦ウィニコット使いや上尾論考の精神分析とコロナについての記述はそんなにはまっていなかった印象。貴戸「コロナ禍と家族」が徹底して具体的な問題に寄り添っていて良かった。また黒木論考のゴールドウォーター・ルールについては恥ずかしながら存在を知らなかったが、それがトランプの大統領選で再度注目される流れからは、著者は言及していなかったもののゴールドウォーター本でもあるParanoid Style本でのホフスタッターを想起。

午後は久々に大学へ。自習室の掃除、借りていた本の返却、生協で予約していた本の受け取りなど。なかなかの冊数をカゴと背中に背負って自転車で往復したら汗だくに。

大学図書館で人文系雑誌つまみ読み。村田沙耶香の自慰をめぐるエッセイはボカシ一切なしの直裁さでちょっとびっくりしたがまあらしいといえばらしい。よく作中に出てくる自慰描写が思った以上にメタファーとかアレゴリーとかではなく自分の感覚そのまんまだったというのはさすがに意外だったが。あと毎年読もう読もうと思いつつスルーしてきた「みすず」読書アンケート号をここ2年分。情動、エンパシー関連本などいくつかめぼしいものをメモ。専門外で面白かったものを気軽に紹介、みたいになった時のここ数年の医学書院「ケアを開く」シリーズの強さはすごい。自分でも入れるだろうペギ夫「やってくる」をはじめ、東畑「居るのはつらいよ」、伊藤 「どもる身体」などポップさとハードコアさのバランスが絶妙な本が次々に出ている印象。伊藤本はまだ積んでいるが、近年読んだものはだいたい新書よりは突っ込んだところまで書くけど専門外でも気軽に読める、という匙加減が見事。

深夜、カーペンター『ゴースト・ハンターズ』。チャイナタウンもの。あまりのバカバカしさに嬉しくなってしまう。ただ省略はめちゃくちゃ上手い。一切のストレスを感じずぐいぐい引きこまれた。たまたま見たタイミングが主演カート・ラッセルの誕生日とかぶっていたことに後で気づく。

 

317

昼から中野。LABO麺二回目。今度は一番ベーシックなやつを。前回ほどの驚きはなかったがラーメンの範疇には入る味で、単純な好き嫌いでいえばこっちの方が好きかも。

歩いて東中野へ。道中なんとなく何年ぶりかわからんほど久々に聴いたBACK DROP BOMBの1stが良すぎて泣きかけた。道に迷って遅れそうになるもなんとか間に合ってポレポレで小森はるか特集。「米崎町りんご農家の記録」、「根をほぐす」はメディアテーク作品。前者ははじめて観た。「波の下、土の上」での花を植える人たちのエピソードとも連関するりんご以外を植えるエピソードなど良かった。もう一本、砂連尾理ダンス公演「猿とモルターレ」映像記録。おそらく濱口竜介「Dance with OJ」に映っていたリハーサル風景の本番と思われる公演。こちらには濱口さんは関わっていなかったようだが、東北記録映画三部作の酒井耕氏が小森さんとともに撮影で参加、瀬尾さんの「二重の街」が作品全体を貫くテクストとして用いられ、彼女自身も朗読で参加していた。地元高校生とのワークショップ要素やテクストを酷使するスタンスなど面白かった。ただ、自分にダンスのリテラシーがなさすぎることも関係しているとは思うが、一回見てすぐピンとくる感じでもなかった。あと、小森パートと思しき撮影が全部遠くからだったので彼女の被写体に寄っていく時のカメラの良さが他作品ほどは出ていなかったように思った。近くから撮ってたのは酒井さんと思われるが、少なくとも今回見たものでは高校生とともに輪に参加している場面のショットなどは肝心のところでそもそもあんまり採用されていなかったように見えた。別バージョンとかもあるのだろうか。

 

318

夕方、ここのところ花粉で減らしてるが久々に5キロ。筋トレもいろいろ。珍しくたくさん身体動かした。

夜、ジョン・ヒューストン『白鯨』。まあバサッと切るところは切ってるがわりと素直なアダプテーション。深夜、スタローンvsウェスリー・スナイプスの『デモリションマン』。暴言吐くと罰金とか管理しすぎで殺人事件がなくて警察が弱体化しているとか、雑なようでなかなか的を射た風刺が効いていた。今だとスタローン演じる主人公の痛快さはポリコレ棒に屈しない自覚的老害の頑固オヤジ的な方向で読まれそうでもあるが、そんな風に真面目くさって考える気を挫くような筋肉要素とバカさ加減も合わせてわりと『ゼイリブ』的な雰囲気のある面白さ。ヒロインのサントラ・ブロックが異常に可愛いのもポイント高い。ヨシキ氏とかがコロナ映画として挙げてたのは、地下のレジスタンス集団と自粛中のこっそり飲み会とかのアナロジーだったのだろうか。ブログの破壊屋ってこの映画からきてるのか、というのはなんかオエッとなった。

ヴァレリームッシュー・テスト』。時期や発表方法によってばらつきはあるものの、思ったよりなかなか青臭くて好感持った。隠者志向の自意識過剰批評家が書いた小説という意味では森敦の『意味の変容』なんかを思い出しもした。

坂手「バートルビーズ」。思ったより原作まんま使ってたりするパートもありびっくり。

 

319

朝自転車でTSUTAYA。オープン前になんとか返却。まだこんなことしてる人間はもうほとんどいないからむしろ貴重なのかも、とか考えつつ。風呂で汗流して昼歯医者。一応今回の治療サイクルは終了。超重い腰をあげて歯間ブラシ導入を決意。夕方にかけて怒涛の勢いでメールと事務書類を処理。ポストに色々投函。おまけに部屋の掃除もした。めちゃくちゃになっていた本をかなり整理したが、探している本は出てこなかった。

もろもろの作業中は引き続きBDBを出た順に。ミクスチャーというジャンルは完全に消滅したけど2010年代の全然聴いてなかったやつも変わらずかっこ良い。

 

320

午前、シャマランの「サーヴァント」第2シーズンラスト2回を。バスギャロップがどの程度製作の中心になっているのかよくわからないところはあるが、シャマラン作品として見ると陰謀論ブームと自作の関係をかなり意識しているところは本当に面白かった。選挙前後からバイデンにかなり肩入れしていたのも含め、トランプ的なものにおける「信」の問題については応答する気満々だと思う。シーズン2までの段階でカルト批判としてベースはしっかりしている気はした。まあ集団vs個になってくると今度はアイン・ランド問題が出てくるので、そことの兼ね合いをどうするかが腕の見せ所だろう。

昼からアテネへ。席減らしのせいもあってまさかの一本目満席。空いた時間に近くでカレー食べたが、久々に店主の不愉快さが味の旨さを上回る案件に遭遇。もう行かない。

クルーゲ『定めなき女の日々』。まずは夫婦のすれ違いをユーモラスに描いた序盤がいい感じ。クソすぎるプレゼント交換、夫への対抗心で本借りまくるが読まない妻の描写など、悪意がひどい。ミソジニー貧乏クソ夫批判の女性映画なのか、と思わせつつ妻役(多分監督自身の妻)が違法の堕胎業を辞めたところから彼女が突如政治に目覚めるという明後日の方向へ話が展開。毎日堕胎してたはずの彼女が工場で数人の子供が死んでいる事件が大問題だから一面にしろと友達と新聞社に殴り込みをかける場面や、暇だからとブレヒトの歌を暗唱している場面などは、明らかに彼女たちの知性を侮っている感じありありで、ストレートなフェミニズムをうたった社会派映画などでは当然ないのだが、とはいえどぎつい悪意の中にも結局社会が個にどう影響を与えるか、という視線が常にあるところが独特。素直なリベラルが喜ぶような方向に一切持っていかずに社会の問題と対峙するというスタンスはやはりドイツ特有のなにかなのか、シュリンゲンジーフなどにもある程度通ずる部分があったような。

神田川沿いの常陸野ブルーイング・ラボでクラフトビールちょっと引っかける。川沿いのテラス席をかなり距離あけてたくさん設けていたのが、このご時世ならではな感じ。

川崎ロック座で人生初ストリップ。入ったタイミングがちょうどつむぎさんのラスト公演で、超満員立ち見の中、アイドルの引退ライブのように四方から紙吹雪が舞う祝祭的な空気に浸る。その後、フワちゃん、KPOP、バーレスクと日韓米をまたぐそれぞれのモチーフのダンスを見ながらなんとなく雰囲気に慣れてきたところで、最後にみおり舞「春の祭典」でロシアならぬ異界に引きずりこまれた。バレエの要素があるぐらいしか事前情報を調べずに行ったので、暗転後にステージ中央に翁が出現した瞬間にはさすがに度肝を抜かれた。烏帽子かぶって足袋履いてたから、ストリップなのにスタート時点ではそもそも手しか露出してないという...。特に円卓ステージで花束を自分に打ち付ける終盤の舞の鬼気迫る雰囲気には圧倒された。4公演×10日のラストと考えるとより恐ろしい。緊急事態宣言下の深夜に密かに小屋に集っている人たちのマナーは名画座よりよっぽどよくて、危惧していたような要素もなく、女性客も普通に何人もいて居心地の良い空間だった。一応昔の文化の名残という感じで短めの開脚コーナーなどは用意されていたが、ロマンポルノとかでみていた小屋の雰囲気とはかなり異なり、ダンスの方向性も含めてどっちかというと地下アイドルイベントとかに近いものになっているような気がした。次回は他の箱に行ってみたい。

 

321

結構な雨。昼すぎBunkamuraへ。あいにくの天気の中ドゥマゴのシエスタ演奏を見てからドアノー展。写美のキス写真でおなじみの人だったが、他のものは何も見たことがなかったので予想以上に楽しめた。写真単体のクオリティ以上に夜のパリの様々な現場に金落としてちゃんと通っていたからこそすくい取れたであろう空気にぐっと来た。本人の発言にもあったが作品を作りたい、いい写真を撮りたいから遊びに行っていたわけではなく、立ち会った現場を撮りたい、という動機がベースというところが信用できる。

初台に移って ICCで最終日の千葉正也個展に滑り込む。ここ最近の展示では間違いなくベスト。めちゃくちゃよかった。飼っている亀が快適に過ごせることを中心に考えたと思しき展示構成にまずびっくり。立体ではない作品の多くを壁以外に設置することで裏が丸見えだったり片側からしか作品が見えなかったりするのも新鮮だったし、どうも一貫してこれまでもやっていたらしいチケットや展示案内を絵画の中に入れ込んでしまう手法も面白かった。何より途中から驚かされたのが、確実にはじめて見たなんなのかよくわからないオブジェや絵の中に現れるモチーフが、展示全体ですべて二回現れるという不気味すぎる構成。亀すら二匹いること、観客すら映像に撮影されて二箇所に現れていること、同様に警備員やスタッフについても本人をモデルにした絵がなぜかホットカーペットに描かれていることで、次第にこれはもしや展示空間を構成するすべてのものが二つ現れるのか、と疑い出し、最終的に全体の法則に気づいた時はぞっとするとともに笑ってしまった。貴花田貴乃花の手形がそれぞれ二つずつ出てくるのもそこは別換算なのか、という謎の感動があった。他人の顔になぜか微妙に角度をずらして自分の顔を描くという自画像シリーズも同じ関心からくるんだろうけど、気持ち悪すぎて最高だった。エイフェックスツインかよという。唯一ひとつしかなかった気持ち悪いカップルの絵は目の前に鏡が据え付けられており、おそらくそれで二つ分ということなんだろうけどそこにもハッとさせられた。あと、鉛筆で書いたモノクロの絵は別扱いという感じなのか、それらだけは小学生かアウトサイダーアーティストが描いたみたいな単調で平面的な絵柄で、どっちかというと技巧的な油彩との落差がでかすぎて妙に印象に残った。あれはなんだったんだろう。

近くの蘭蘭酒家へ。餃子、海老蒸し餃子、揚げピータン油淋鶏、土鍋麻婆豆腐、アサリチャーシュー入り黒チャーハン。ビールと紹興酒ハイボール。なかなか良い店。

夜ははじめてニコ動に課金して約5年ぶりの白石晃士「生でコワすぎ」を。今回はカメラ振るまでの座りトークがとにかく長く、それがおそらくは過去二回を見ているであろう熱心なファン向けのサスペンス性を生んでいたような。大迫さんの台詞量が半端じゃなかったが、冒頭でのニコ動視聴者への煽りから素晴らしかった。市川の「アップデート」発言に嚙みつくくだりはテレビや映画だと結構アウトすれすれのラインだったと思うが、その辺りも配信だから入れていく、というさじ加減なのかなと思う。分身工藤の大量出現、市川の兄が江野設定、無印の世界線を工藤が認識していることなどは新シリーズへの前フリなのかな。白石ユニヴァース版ミスターガラスとして、可能ならNEOとかもひっぱりだして巨大スケールの「コワすぎ」新作をなんとか完成させて欲しい。ついでの流れで前回の貞子vs伽倻子便乗企画の回も改めて観たが、今回のよりかなり大掛かりで金もかかっててサービス満点の内容だった。こんなことやってる人はさすがに世界で一人だろう。ウィリアム・キャッスルが生きてたら確実に嫉妬するレベル。

川崎にはじまり写真のパリ、ICC、そしてネットまで、昨日今日と生で「現場」に立ち会うことはやっぱ大事、と思わされるイベントが多かった。まあまだしばらくコロナでどうにもならないことは多そうだが、いける範囲でなんとか追いかけたい。

 

322

もともと緊急事態期間用に再開した日記だったが、いつの間にか期間が終了していた。去年の一度目と比べると飲食店が閉まっていて不便なだけの無意味な時間だった。いまだに全然検査しない上に変異株色々入ってる中でワクチン接種も進まずで今後も実質的には緊急事態が常態化したような状態が続くんだろうけど、この状況でまだ本当にオリンピックやる気なのか。四月から大半が対面になる大学も感染状況次第でまたコロコロやり方変わったりするんだろう。

午前ヴェブレン読み。冷静にひどいこと言いすぎ。ファッションに関する記述の口の悪さは完全にヒースに受け継がれているような。

近所の桜がいよいよ花見客押し寄せるレベルで咲き始める。花見の自粛をお願いするプラカードを掲げた警備員がうじゃうじゃいて景観を損ねていた。

花粉対策に部屋の掃除がいいという話を聞き(当たり前)、昼過ぎ久々に掃除機使ってすみずみまで。午後は全く集中できずだらけてしまう。週に一回はこういう日がある。

夜なんとかメルヴィル「ベニト・セレノ(漂流船)」を読む。やはり当時の船も街路と同様見知らぬ他者と出会い得る期待と不安を煽る場所としての性質が強かったんだなと改めて。好意的に解釈すれば近年のジョーダン・ピール作品とかにまでつながる黒人へのステレオタイプ的な印象を逆手にとった人種ものホラー、ミステリの要素があり、たしかに当時の厳しい検閲を避けながら差別を批判する意図があったと読めなくもないんだろうけど、どこまでそういう意図で書いていたのかは怪しいような気も。というか、もう少し言い方を変えると、作者がベニートの最後の選択に奴隷制との関係を書き込んでいるのは間違いないとは思うのだが、かといって彼の謎を奴隷制との絡みだけに回収して読んでしまうのもどうなのか。むしろ90年代前後の研究史でそういう読みに脚光が当たったことをそろそろ歴史化するべきなのかもしれない。あるいはエマソンとの関連もあるのかもしれない船のジグザグの航路にも似た、中盤のデラーノ船長の安心と不安を交互に行き来する心理の揺れを描いた部分は、やはりポーの街路表象やハルトゥーネンとかの都市論、『信用詐欺師』あたりを想起するところ。結局は後半に絵解きされてしまうのが少しつまらないところだが、なかでもとりわけデラーノの不安を誘発する法廷編に入るまでのドン・ベニートの不穏さは、「私は行くことができません」(250)のリフレインも含めて、ややバートルビーめいた部分も感じさせる。翻ってバートルビーではウォール街という空間がどういう性質を担わされているか、をよく考えた方が良い気がしてきた。あとは白鯨やバートルビーにも通底するモチーフとしての墓や棺がやはり気になった。

セールで安くなっていたので深夜ユニクロUのセットアップなど買ってしまう。さすがにセットアップはユニクロではまずいのではという気もしなくはないが、普通に洗えるらしいのはでかい。

 

323

朝まで寝られなかったので昼まで寝た。金曜朝早起きしないとなのを忘れていたが、それまでにリズムを戻せるのか。

ネグリ=ハート『帝国』2-1から2-3。デカルトからヘーゲルの流れを批判しつつ主にスピノザドゥルーズ=ガタリの系譜を対置。2-1のフーコーから2-2の国民国家論、2-3のポスコロまで、この辺りまではわりとベタなポモ議論という印象。こういう論の運びだとはあまり想定していなかった。

散歩中に聴いた先週分の伯山ラジオからの流れで夜TVerで伯山カレンラスト二回。花田優一回ぐらいしか見てなかったが、いい締め方だった。

 

325

博論の講評受け取り。

 

326

 学位授与式。百年ぶりにらすた食べて帰宅。日吉は大学どころか駅周辺まで一切タバコが吸えなくなっていた。

 

 

 

2-3

211

シネマート新宿で『クラッシュ』、『ヘンリー』、『アメリカン・サイコ』。

 

212

昼過ぎまでひたすら論文のエラータ修正。神経使って疲れた。

小沢昭一『私のための芸能野史』。

サーヴァント2話まで。シーズン1の展開、観ながらなんとか思い出してきた。

 

213

アテネフランセで『レフト・アローン』。文芸坐でキャサリン・ビグロー『ブルー・スチール』。

 

214

昼に修正版の論文提出。わざわざ大学に一番近いところに出しに行ったが、昔から世話になっていた個人経営の店は移転してしまっており、仕方なく某チェーンへ。びっくりするぐらい担当の対応が要領を得ず、さすがに不安。どうなってんだ。

庭園美術館で「20世紀のポスター」展。もうちょっとタイトルなんとかならなかったのか。最初全然興味沸かなかったが、よくサイトの説明見たら1930sあたりまでのスイスやドイツ、ソ連あたりのめちゃくちゃかっこいいポスター群が大量に展示されていることに気づいて慌てて。後半の60s以降への変化を印刷方法の移り変わりと並置するキュレーションも良かった。よく考えたら新館にいった記憶がまるでなかったので、改修以来初めて行ったのかもしれない。

帰りに数年ぶりに「とんき」でロースかつ定食。久々すぎて忘れていた箸で衣が取れてしまったりする感覚を思い出しつつ。まあ随分と混んでた。待ち時間的にも感染対策的にも二階選んで失敗。いろいろなかっこいい過去のポスター展示の図録などを振り返りつつ、SOCIETEと雷電の缶ビール、タリスカー

 

215

朝、ゴディバとローソンのコラボ企画からカレーパンとチョコパン。特にカレーパンはわりと期待していただけにめちゃくちゃ普通の味でがっかり。

昼、久方ぶりに大雨に降られる。タイミングが色々不運だった。近所の蕎麦屋で田舎蕎麦。ど平日の真昼間からジジイの集団客が酒盛りをしており、楽しそうでいいけどこの構造の店でこの時期は勘弁してくれとなった。

夕方、天気も落ち着いたしなんとか残席ありそうだったので、口上から駆け込みで末廣亭桂宮治真打昇進披露興行、新宿中日。口上で落語の技術と魅力について語っていたゲスト談春の、その双方を見せつける「替わり目」を満喫。宮治師匠は「怪談青菜」。後半になるにつれ魅力が炸裂する構成。楽しかった。

夜、以前寝落ちしていたカーペンター『ダークスター』を再び。一切のカネをかけずにほぼ宇宙船内部でここまでの事ができるとは。デビュー作にしてカーペンターの異形の才能が迸りまくっていた。オフビートとくくるのも的を得ていないような感じがするが、とにかくただダラダラしているだけなのに全く飽きずに見られる細すぎる線を突いてくる脚本とメリハリの効いた撮影が凄まじい。明らかにビーチボールに足生やしただけの宇宙人とダン・オバノンが追いかけっこするどうでもよすぎるくだり、特にオバノンがバカみたいに何度も上下動するエレベーターにぶら下がったり挟まったりする場面はめちゃくちゃ笑えたし、異常な引っ張り方は完全に『ゼイリブ』のプロレス場面に通じるな、と。オバノンが寒いこと言って他の乗組員に無視されるところ、死んだはずの船長の間の抜けた冷凍催眠、船長代理の謎のオリジナル楽器、ミサイルに現象学を教えて命令を拒否させるというふざけすぎの展開、などなど最高の細部が多すぎ。そして何よりかっこよすぎるラストには喝采。とりあえず春までにカーペンターたくさん観たい。深夜にかけて『ブルックリン99』1話。これは流行るわ。疲れた時ちょっとずつ観たい。寝る前に『サーヴァント』3、4話も。シャマラン娘→シャマランの親バカリレーが炸裂。

 

216

朝から花粉の気配。我々は小池の公約破りを決して忘れない。

午前、サーヴァント5話とAlone Together読み。夕方ユーロスペース相米『光る女』。先日ノアの試合を見た流れで我慢できなくなり10年ぶりに35年前の武藤を。今58歳とすると87年公開の映画撮影時には25ぐらいだったのか。なんでヤングライオン期にいきなり主演しているのかよくわからないが、どうもオーディション代わりに新日の試合を見に来た相米が一目惚れしたらしい。『俺の家の話』における能のはるか前に、プロレスをオペラと融合しようとして失敗した謎の作品があったのだなと改めて。相米があまりプロレスのことをわかってなさそうなのが上手くいかなかった原因なんだろうか。逆水平の張り合いみたいな芝居をさせるの大好きそうなのにやや意外というか。地下闘技場にロープがないのがダメだったのか。武藤が車の屋根に登ったりガードレールでロープワークもどきを披露する場面、ほぼ裸髭面なのに急に赤のダブルのスーツ着るところとかは良かったんだが...。

夜『東京干潟』を。河原で採集したしじみを売った金で酒と猫の餌を買って楽しく暮らしている元社長のホームレス男性を追ったドキュメント。被写体の方が魅力的すぎるのでどこまでが監督の手柄なのかよくわからん部分もあるが、築地、料亭を経て政治家の腹の中に自分のとったしじみが入っていると話す場面や、かつてのバブル期建設現場の思い出話が撮影当時自分たちの生活の場を破壊しつつあったオリンピック特需の建築ラッシュにシームレスにつながってしまう展開には驚いた。多くの猫に餌をやっていることについて話す際に何度も「誰だって生きる権利がある」と語っていたところが忘れがたい。

『はらわたが煮えくりかえる』6章。教育や文化の情動emotionへの影響を探る。構築主義なのか文化をまたぐ普遍性があるのか、の単純な二元論ではなく両者をどう両立させる統一理論を立てられるか、という角度から考察。身体状態の知覚、という意味では全文化共通で、その意味で基礎情動をいくつか設定できる(著者は身体感覚に寄せたもので分類)。それらをどう評価するか、知覚のレベルに様々な形で文化や教育のバイアスがかかっていくという建てつけになっていた。まあ納得。

杉田俊介『人志とたけし』序文と対談二つ。序文で紹介されていた鶴見俊輔吉本興業論はちょっと読んでみたくなった。当時の大衆観をそのまま無批判に今引き継ぐのは厳しいとは思うが、未だに古びていない部分もあるかもしれない。対談ではやはり九龍ジョー氏の指摘に膝打つ部分が多かった。松本がNSC一期生であることと歴史の切断、伝統の否定へ向かう彼の方向性を重ねるのは他の人も言ってることだとは思うが、そこに彼が芸のスポーツ/コンペティション化を様々な形で推進したことの意味も重なるというのは意識したことがなかった。さらにそこと繋がる話として、結局今は場の設定だけやってアガリ状態でニュースネタに対してもあえて予習しないで反射神経だけでなんとかするのがむしろすごい、というスタンスを貫いていることの孕む問題。結局現役でネタやらず舞台に立とうとしないことが一番まずい、というのもまさにその通りだなと。またおそらく本作ってる時期にわりとホットだった話題としてのAマッソと金属バットの炎上についての簡潔なコメントにも完全に同意。まずそもそも芸を必要とする人が少数であり、そうではなく金も落とさず芸そのものも見ていない外野がいろいろ言う流れをどう捉えるか、という問題がある。その前提の上で、Aマッソが記号として差別ネタをフラットに扱ってしまったことの何がまずかったかは、自分が以前スパイク・リーによるタランティーノ批判について考えたあたりとほぼ重なる問題系だろう。ランズマンも褒めてたイングロはセーフだけど例えば昔の黒人いじりと新作のブルースリー表象はアウト、というような。

 

218

起きてちょっと食べてすぐヒューマントラストへ。未体験ゾーン企画で今日までの『ファブリック』を。ぜんっぜんダメだった。もったいぶってるだけで中身空っぽなのに尺が長すぎ。前後半で話変えちゃうなら前半の銀行員の中年女性がらみの細部をいろいろ演出する意味もどこにあるのか謎。せいぜい時流への目配せ程度の効果しかないだろう。ミッドサマーといい、A24には徐々に不信感が募ってきた。

昔から通っている汚い定食屋に行きたかったが、厨房の家族の大半がノーマスクなのを思い出してやめて適当な店でカレー。夜フレンチ出してるからか、前菜がボリュームありうまかったが、カレーが普通。

2-2

26

今日も今日とて博論再チェック。なぜこれに気づかなかったのか、という誤植がちらほら...。夜、これを逃したらいつ次があるか、との思いで文芸坐で超絶久しぶりにオールナイト。王兵『死霊魂』。そもそも2005年の素材が中心ということもあるが、原点回帰かつ集大成という印象。『ショアー』と比べてどうという話でもないんだけど、これは世界で他に撮れる人は誰もいなかっただろう。体制側のインタビュイーが一人しか出てこないのは何か意図があったのか気になり滅多に買わないパンフレットも買ってみたが、インタビューによれば単に弾圧していた側は当時58~60年に40代ぐらいの層が中心であり、2005年時点で全員死んでたからという身も蓋もない理由だった。『鉄西区』よりは短いものの8時間半の尺になってしまったのはなぜなのか、と言う点についてはそもそも素材が600時間あり、かつ話を聞けた人のこれは削れないというところを編集するとだいたい30分ぐらいになった、という2点から完全に納得するとともに唖然。今後も残りの素材からスピンオフ的に何本か作られる可能性は高そうだった。どうもほぼ体制側に回収されてしまった感のある去年のジャ・ジャンクーの中国文学ドキュメンタリーあたりとの凄まじい落差に中国の特殊な事情を考えさせられたりも。

 

27

昼過ぎ起きてスロースタート。なんとか夕方ほぼチェックを終える。

夜、バインセオサイゴン二回目。前回頼んでなかったもの中心に。ベトナム式カイピリーニャがマンゴー感強めでなかなか気に入ったのでまた飲みたい。

 

28

午前中は目が覚めても起き上がれず。スーパーボウルのハーフタイムに流れたらしいシャマラン新作の予告観て元気出た。このタイミングで劇場でしかやらないという宣言をあえてしてくるあたりに痺れた。

夕方まで現実逃避でだらだらしてしまう。こういう向き合いたくないなーという感覚ももう最後かと思うと、ある意味感慨深くもある。軽く走って筋トレ長風呂夕食挟みようやく最終チェック。想定問答的なものも少し。

 

29

ぎりぎりになって使用言語がはっきりしないことが発覚して焦ったりもしたが、夕方なんとか口頭試問終了。予定よりかなり長い時間とってもらいありがたし。対面で細部を突っ込まれる機会がこれから何回あるかもわからんし、諸々今後に活かしていきたい。

クソでかタスク終了ということで、さすがにシャンパンといいワインを開けてしまう。

 

210

昼にソイ7でガパオライスとグリーンカレーあいがけ。いい感じ。帰りに寄った子供の頃から使っている近所の大きめの本屋、とうとう四大文芸誌は文藝しか置かなくなった模様。いつの間にか文芸誌のコーナーにはHanadaやらクライテリオンやらが平積みされるようになっていた。ただ重版している文藝はきっちり揃えているあたりから考えても、思想がどうこうというより単に売り上げで判断してそうな気がする。昔なら文藝春秋とか買ってた会社重役系の老人が最近は右寄りの雑誌を買っているのだろうか。もう一つの小さめの店でようやく炎上していた文學界の連載をチェック。作品数と字数の関係がそもそもあまり健全ではない、と改めて感じた。褒めたい作品に字数使いたい、となると他のものに割けるのはツイッター以下の字数、みたいなことになりがちで、その中でディスり芸を披露してやろうとイキると、結果的にどスベりせざるをえなくなる、というような構造があるような気が。個人的には燃えたコメントはめちゃくちゃつまらなかったがそれとは関係なく騒動自体は明らかに編集部に落ち度があると思う。あと同じ号に載っていた九龍ジョーいとうせいこうの対談が良すぎた。割ける時間とカネに限界はあるが、今年はなんとか可能な限り芸能の現場に駆けつけたい。

夕方からわりと強めの二日酔いも、まあ心地よい美酒の名残ということで甘んじて受け入れる。夜は何もする気起きずほぼベッドの上で過ごし、お笑いの動画などひたすら見た。夜見たニューヨークの「ザ・エレクトリカルパレーズ」がなかなかの傑作。振り返りトークの動画で屋敷が、お互いプロレスできるタイミングになったからNSC卒業直後の中途半端なイジリの雪辱も込めて今撮った(大意)と言ったコメントをしていたのも含めて良かった。痛い物事をバカにして笑うこと自体にもかなり忌避感が生まれつつある現在の状況にあって、単に蔑むというよりはむしろ全体としては当時のエレパレ構成員を愛さずにはいられない方向に持っていきつつ、しっかりくそダサいオリジナルソングを散々歌わせたりもする匙加減。去年のM1は順番と準決勝から足した箇所がたまたまはまらなかったのが惜しかったが、今年は頑張ってほしい。

 

2-1

21

2月。夕方までひたすらレポートの採点。『ブックスマート』について好意的な内容が多かった。レポートを課す授業ははじめてだったが、どこまで出題側が枠を用意するかさじ加減がなかなか難しい。

1日なので、という言い訳のもと渋谷へ。『花束みたいな恋をした』を。トイレで会った知人がなぜか真横の席で、野郎二人でノーマスクでポップコーンを食い散らかす糞カップルたちに囲まれながら観る羽目に。途中までは最悪だと思っていたが、後半の予想外の展開で事態は急変、終映後は周辺カップルのリアクションをじっくりと堪能して帰路に。知人が主人公二人がどこの大学かというゲスな視点を持ち出してきて笑ってしまったが、確かにそのぐらいは裏設定で決めてそうな感じもした。将来的には注のない下流中堅大学生バージョンの『なんとなく、クリスタル』みたいな作品として位置付けられることになるのだろうか。

劇中の会話に登場する膨大な固有名詞についてtwitterで調べたり話したり。坂元ファンを選んだのかは不明だが、それっぽい文科系若者のインスタアカウントを参照して選出したものらしい。ラストの世代間遷移へのフリとしてはベタながら機能していたような気はした。ただ同時にある種のサブカル趣味の人の最大公約数を取りに行った結果として、ちょっとステレオタイプな感じにはなってしまうよなとも。

映画館の固有名すらバンバン出てくる一方で、なぜか映画監督の名前は出てこないのが面白いなと感じていたが、押井守、宮崎・新海とアニメ監督は普通に出てきていたのを完全に忘れていた。海の場面でスマホで自分の足元を撮影するところやヒロインが影響を受けたブログがはてなだったりとかも、似た意味の時代風俗として笑える演出。見た範囲での坂元脚本ドラマでは固有名に頼っていた記憶は一切ないので、「ANONE」のスマホ周辺やネットカフェ環境の取り込みなどと同様、同時代性を引き出すためのツールの一つとして今回注目してみた、というところか。なかでもパズドラのくだりなんかはまあ上手いなと思った。はてなのくだりではなんとなく雨宮まみや、さらに遡って二階堂奥歯とかを思い出したりも。その他、原作絡みで実名にできなかったのかもしれないが、『わが星』は行ったなあ、とか。言及されない固有名でいうと濱口竜介への目配せはちょっと気になった。主人公の名前が麦(むぎ)、多摩川沿い散歩は『親密さ』を、同棲アパートベランダから川を眺める場面は『寝ても覚めても』を思わせるし、主人公カップルの関係性は『寝ても覚めても』及び逆『PASSION』では、などなど。タイトル的に本作と特に関係が深そうな坂元脚本の「最高の離婚」を見てみたくなった。

その他、ヒロインの髪型変遷やオダギリジョーとのくだりなど、省略しつつほのかにDVや浮気の可能性を仄めかす演出には好感を持った。あと、猫をめぐるじゃんけんで(たしか)パーで菅田が勝つさりげなさ。

国がどうしようもないせいでついつい来年度新しく始まる購読の教科書をレセムの『ゼイリブ』論にしてしまう。

 

22

成績付け、アンケート、来年度シラバスなどの雑務を全てなんとか終える。疲れた。

夕方走りに行った時の思いつきで、今年度コメディ映画を扱ってあまりうまくいかなかった授業を来年度は大統領スピーチに変更。全部就任演説で揃えようかとも思ったが、レーガン、ブッシュあたりは戦争がらみのものにしてみた。

 

23

どうしてもやる気が出ずベッドから出られず長時間だらだら。昼過ぎから文芸坐。見逃していた昨年のブラムハウス映画二本。どちらも単に時流におもねるわけではなく、今可能な暴力表現と本気で向き合おうとする工夫が随所に見られて良かった。

『透明人間』、ラストではっきりと主人公が狂っていないことを示してしまうのは、時代の要請を考慮すれば仕方ないとはいえちょっともったいなかった気がするが、最後に旦那の家に行く手前までは随所に唸らされた。まずはDV男の恐怖を透明人間と重ねるアイディアがとにかくはまっていた。『ミッドサマー』とかの滑り具合と比べると雲泥の差。逃げ込んだ家が舞台になってから時折透明旦那目線のエンプティショットを挟んでいくあたりは上手いし、朝飯が燃える無人のキッチンから消火器で消すまでの流れなんかは特にぐっときた。ゆっくりしたパンで無人の空間を捉えるショットを折に触れて挟む演出も、まあよくあるやつではあるが、もしかしたらここに?という緊張感を超安値でうまく醸し出してるなあ、と。『ヴィジット』あたりと同様に屋内シーンメインで進む中で、目先を変えながらサスペンスを維持しつつ笑えもするというのは良いバランス。2時間超えちゃってるのはどうなのかとも思ったが、特に弛緩しているとは思わず。兄貴がらみの場面はもう少し削れたかもしれないが。病院での旦那VS警備員のバトル場面や逃げた先の家での夫婦喧嘩場面では、旦那側が透明を保つことで割とコミカルになってていい感じだと思ったが、文句言ってた某先輩は透明同士で戦って欲しかったと書いていた。それだと確かにバカバカしくて笑えるが、ヴァーホーヴェン版やシャマランのノリになってしまうような...。徹底して決定的瞬間は見せない、という演出にも非常に好感を持ったが、その方向性ならやはり最後もう一捻りしてやっぱりこいつ狂ってたのか?という線を残して両義的なラストにして欲しかったような気もする。その他、消火器や脚立など小道具の活かし方、さりげない過去作オマージュももなかなか気が利いていた。

『ザ・ハント』、事前情報ゼロで観たが最高だった。ホラーとお笑いだけは常に現在進行形で追わないといかんな、と改めて。とにかく今のSNSやネット周辺に渦巻く悪意の取り入れ方が痛快。ネタがベタに読まれてフェイクニュースとして拡散されるところから始まる悪意の連鎖。現在進行形のサブカル大御所たちの無益な喧嘩なども想起して笑ってしまった。レビューサイトやトランプ周辺からの評判は散々だったようだが、2020年時点のバランスとしてアウトすれすれを絶妙に突いたからこその強い反応だったのでは、という気がする。ちゃんと観れば単なるラストベルト貧乏白人批判ではなく、むしろそういったラベルを貼りつつも表面では耳触りの良いことしか言わないリベラル層により鋭い刃を向けていることは誰でもわかると思うが、まあ特にトランプとかが怒ってたのは設定とか予告編だけの印象からだろう。映画全体の内容からすると誤解に基づいて批判されて上映中止とかになってるのも興行としての結果を無視すればむしろ美味しいというか、それこそ作中の構図そのまんまだよな、と。序盤のモブキャラたちの死に方、リベラルな思想に殉じて死んでいくバカな女キャラ、ボスが自分の間違いを決して認めないところなど、ツボに入ったところは多数。ボスだけ有名女優だからと顔出しを引っ張るのとか、最後に動物農場パロディをめぐる説明的な会話を入れちゃうところとかは全く乗れなかったが、全体としてはお見事という印象。何より、どんな人物をどういう設定なら後ろめたさ抜きで画面上で惨殺できるか、から逆算しているのが明らかなのが潔くて良い。シャマランの恩人である時点でジェイソン・ブラムのことはずっと信用しているが、ブラムハウスの層の厚さに驚いたので、今後はA24なんか目じゃないぞとばかりに推していきたい。

ホラーやコメディと情動の関係は小説・映画双方で長い時間かけていろいろ考えていきたいところ。とりあえず先日から人文系に寄りすぎない良書として以前に戸田山『恐怖の哲学』でノエル・キャロル本と並んでかなりがっつり紹介されていたプリンツ『はらわたが煮えくりかえる』を読み始めたところだが、様々な対立する説を一つずつつぶしていく感じの議論が続くのでかなり読みづ(×ず)らい。

 

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超重い腰を上げようやく博論見直し2章分。自分史上一番校正したはずなのに細かいミスが結構見つかってしまう。人間の目は不思議。

夕方ユーロスペース。今更になって佐藤真『阿賀に生きる』をはじめて観た。圧巻。舟大工遠藤さんの表情の変遷だけとっても凄まじかった。撮影小林茂さんの感覚が確かに小森さんの『息の跡』や『空に聞く』にまで繋がっていることがよくわかった清田さんとのトーク含め、ある意味『日本に生きる』に近い状況下で今観られてよかった。自分たちは裁判ドキュメンタリーにするより生活の機微を捉える方にフォーカスするべき、という確信から帰結する、かっこよすぎる餅つき場面の重要性。水俣病との関係がほとんどない家での食事場面や小さな揉め事の場面の方がかえって強く脳裏に刻みつけられたりするという。単に的確というのとも違うんだけど、カメラ位置やら被写体との距離感やらにハッとさせられる場面だらけだった。特に遠藤さんの船周りと長谷川さん?の田んぼのところ。進水式の撮り方はそっちからなのか、とか。トークのお二人も観るたびに新しい発見があると言っていたが、ニュープリントフィルムで観られる機会にはまた駆けつけたい。

夜、クドカンのドラマ『俺の家の話』二話録画で。思った以上にプロレスはメインプロットとまだまだ関わってくる模様。すご。対老人詐欺師と見せかけて戸田恵梨香が誠実に仕事して対価もらってるだけっぽい展開になったのにはさすがに驚愕。能、プロレス業界や遺産相続に関わるシビアなカネの話ばかりか、介護の低賃金という問題にまで切り込んでおいて完全にコメディとして成立してもいる。奇跡的なバランス感覚。

 

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完全に生活の一部になっていた金属バットのラジオ、更新が途絶えると落ち着かない。

今日は博論2章分と1セクションで力尽きる。どうも1日に集中して確認できる分量には限りがある模様。なかなか派手な改行ミスや引用ミスをやらかしており冷や汗。余白とか直していた時にずれたのかと思うが、さすがに我が事ながらびっくり。若干細部忘れた状態で読み直してみて、内容的にはうわーおもしれーとまではいかないものの、まあそこまで最悪というわけでもないか、とは思えたので良かった。

夕方走って筋トレして長風呂したらやはり体調はいい。4月からは対面だらけで嫌でも歩数戻りそうだが、3月までどう運動量確保するかは考えた方がいいのか。夜、現実逃避で久しぶりに日記。とりあえず2月入ってからのものを。

 

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昨日の深夜と今朝で、まだ22だというアマンダ・ゴーマンの朗読などバイデン就任絡みのニュースをいくつかチェック。毎度のことながら左右両側からのあまりにも激しい揺り戻しはいかにもアメリカ、という印象だが、つい先日までめちゃくちゃやってたのが突如リセットされたかのごときリベラル優等生系のスピーチとそれへの絶賛の嵐には若干の違和感を覚えてしまうのも確か。こういう優等生的なものへの反感がどこかでトランプ的なものの台頭につながっているのは明らかなので、自分としてはそっちの危うい方向を常に意識しつつギリギリのところで陰謀論を回避するにはどうするか、などを考えたい。アイン・ランド大好きなシャマランなどにギリギリまで寄り添いながら、陰謀論に落ち込まずフィクションへの信だけはなんとか失わないようにする方法もおそらくあるはず。

昼食べて自転車で渋谷。イメージフォーラムでロズニツァ『国葬』。まあやりたいことはわかるんだけど映画館で観客を拘束してやることなのかは疑問。インスタレーションだったらそんなに嫌な感じは抱かなかったと思うのだが、もしそうだったら最初から最後まで通して観ることもなかっただろう。もちろんあえてしつこく式典での周辺人物たちのスピーチをノーカットで垂れ流すことなんかが大事、ということなんだろうが。『アウステルリッツ』もそうだったけど、プロパガンダとの距離を示さないといけないのもあってか、素材に余計なものを加えたり上手くカットして編集したりしない、というスタンスがかえってイラっとくる印象に帰結してしまっているところがあるようにも思う。同じいわゆる「3ない」でもワイズマンは一瞬も飽きずに観られるのに対し、ロズニツァだと写り込んだ人たちの衣服とかに目がいってしまうのは、画面上の運動とかが特に面白くないからで、かつそれは狙ってやってるところがありそうだけど、観客がそういうものをお芸術としてありがたがる前提で作っているような気も。こちらもわざわざそんなもんを長時間観るほど暇ではないんですが・・・。

神保町へ。微妙に空き時間あったので久々に古本屋街へ。いい本はあるのだが相変わらず値付けがめちゃくちゃ。いつになったらこれではやっていけないと気付くのか。。。神保町シアターで『俺は田舎のプレスリー』。エンパクのLGBTQ展示で紹介されていた直後のタイミングで観た友人が皆絶賛していたので行ってみたが、確かになかなかすごい映画。パリから田舎に帰還するカルーセル麻紀が再びパリへと戻る部分がプロットの中心ではあり、特に先生との家飲みから列車での別れのくだりは撮影含め素晴らしかったが、そこで終わらずに喪失感を埋められない周辺人物の物語がだらだら続くところも珍しい構成で面白い。最終的に願いを実現できる人物は誰もおらず、かといって泣けるほどの破滅に至るわけでもない。冒頭の火事のくだりの反復によって、そうした日常が今後も続いていくことが示唆されてカタルシス抜きで映画が終わっていくことで、奇妙な余韻が残る。

夜、今回も緊急事態になってから見始めた講談の連続物、「天保水滸伝」最後まで。ラストの愛山先生はさすがに決まりまくっていた。配信連続もの二発目にリレーものを持ってきて伯山以外にもスポットライト当たりやすくして、かつ愛山先生の凄みをわかりやすく提示するという伯山TV側の誘導の仕方もうまい。まんまと講談というジャンルそのものにはまりつつある。

 

 

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授業二コマ。プランクだけなんとかやってユーロスペース。小田香『セノーテ』。光の届かない場所に長時間潜って撮影を行う点は前作と共通しているが、映像面では今回は単独で潜っていることによって、前回の労働者たちの動き、特にヘッドライトの振りが適度な偶然性込みで果たしていた役割に当たるものが存在しなかったせいか、そこまで乗り切れなかった。水の中のショットはそこまで多彩なものにはなりようがないからか、8mmの映像と現地の演劇や詩の言葉を重ねることで目先を変えようとしていたように思うが、そちらにもどうも集中できず。ただ、音響については監督自身の呼吸音をがっつり取り込んでいくところなど今回もかなり面白かった。ついでに観たレコードにまつわる限定配信短編の「TUNE」は良かった。やはり音周りの処理にハッとさせられた。

 

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昼、近所のセールで帆布トート買った。ずっと使っていた白いやつが気に入っていたのだが、使い倒しすぎてさすがにやや持って歩きにくい感じになり、かつ個人作で同じものが今は出回っていなそうだったので、わりと近い雰囲気のものを。洗濯できるとのことなので、まあ数年は使えるだろう。

午後天気の悪化とともに何もやる気がなくなってしまい、ひたすら放心。ちょっとだけ筋トレしたが、風呂にも入れず。秘宝ベスト号。今年は特にハリウッド大作映画の公開が本当に少なかったのもあり、新鮮な驚きのあまりないランキングに。未見のもので気になったのは、柳下さん二位の平野勝之の8mm『銀河自転車の夜2019最終版』、真魚さんの選んでいた養蜂業者のドキュメンタリー?『ハニーランド 永遠の谷』ぐらい。

鬱々とした気分に合いそうだったのでニック・ドルナソ『Sabrina』を読み始めた。

 

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スマホの振動で目覚めた気がするが目覚ましではなく、特に連絡は来ていなかった。早く起きたのでちゃんと朝食。昼挟んで『Sabrina』を読み終える。これは確かに評判になるのも納得。なぜ小説ではないのか、と言う辺りは矢倉さんが色々書いていた気がするので読み直さんとだが、自分としてはなぜ実写映画ではないのか、も考えたいなと(いずれ映画化とかもされるのかもしれないが...)。前作確認してないから作画が毎回こうなのかはわからないが、各人物の顔が過剰にシンプルで入れ替え可能な感じに描かれていることと、特に後半の不安が増幅していく展開とがよくマッチしている、というのは一つ言えるように思う。『レゴ・ムービー』で、特に主人公の見かけが入れ替え可能であることが、かえって入れ替え不可能な生の価値を信じることへの距離の遠さから感動を生む構造になっていたことの逆というか。

Alone Together3,4章。AIBOとMy Real Babyという電動赤ちゃんのおもちゃのユーザー実験についての章。機械カニバリズムというより久保氏でいうと『ロボットの人類学』とモロに重なる対象だが、アプローチはやはり微妙に異なる。機械との相互交渉でこれまでの「人間」像とは異質な状況が生まれてくる局面に注目する久保に対し、タークルは精神分析のバックボーンがあることがでかいのか、あくまでも被験者の人間側の立場に焦点を当てながらインタビューを分析していく。そのためか、機械を相手にした喪の感覚の変容を分析した前の2章はもう少し肯定的ニュアンスが強かったのに対し、ここでの子供達がAIBOなどへの対応に困ったら電源を切ってしまう行為については、シンプルに否定的な見解を示しているように見える。愛着やempathyの問題と、コミュニケーションにおけるめんどくさい局面をどう経験するか、の関わり。めんどくささありき、という点から次作に向けてある意味で保守化していく流れになったのかな。まあ自分の子供の反応とかも見てたらそう考えたくなるのはわかるが、やはり久保ーペギオラインのが知的には面白く感じてしまう。