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だが結局のところ、この無差別とは、エクリチュールのページの上に到来し、あらゆる眼差しに差し出されるすべてのものの平等以外の何であろうか。この平等が、再現=表象のありとあらゆるヒエラルキーを破壊し、そしてまた、読者の共同体を正当性のない共同体として、すなわち、文字(レットル)の不確定的な流通によってのみ描き出される共同体として創設するのである。(ランシエール『感性的なもののパルタージュ』10-11)

10時すぎになぜか隣のマンションに住む子供の声で起こされる。

午前ベランダで現代思想の感染特集から気になっていたものを。アガンベン、ナンシーらの寄稿は即レスすぎて特に練られた内容でもなく、わざわざ批判する意義もないぐらいどうでもいい内容だった。ただ自分のような人間ですら、これが「剥き出しの生」か、となってコロナ騒動発生後にアガンベンの本をはじめてちゃんと読んだぐらいなので、本人がコロナと過去の自分の議論を重ねたくなるのはさすがにそうなるだろとは。まあ当時から批判されていたみたいだが、なんでも剥き出しの生、なんでも例外状態と騒いでしまうと本来の批判的な価値も薄れるという面は間違いなくあるだろう。ジジェクのは相変わらず。キューブラー・ロスを引きつつ否認⇨怒り⇨取引⇨抑うつ⇨受容のサイクルをしつこく当てはめてベタな世間の声?に冷水を浴びせまくる一連の流れはまあピュアな左翼の神経を逆なでする効果はあると思ったが、それだけ。ウエルベックもそんなようなことを書いていたが、コロナは正面から見据えても知的にはつまらない対象、というのはあるだろう。むしろHIVや人類学などに引きつけた議論の方が頷く部分が多かった。引かれていたエイズをめぐる浅田彰と柄谷の対談は読んでいなかった。その他、先日友人に勧められたばかりのチェルノブイリルポと関連づける記事なども。

MUBIの視聴期限が迫っていたのでかなり久々に昼映画。映画館がなくても締切がないと映画が観られない....。ジョエル・M・リード『悪魔のしたたり Bloodsucking Freaks』(1974)。監督がコロナで亡くなってしまったそうで特集されていた。金がかかってなくてもはっとさせる効果抜群の照明など、細部の職人技や工夫が光っているのに加え、トロマ作品的なものに関する自意識を潜ませつつ笑い飛ばす脚本も愛おしい。同僚の足を切り落とす脅しのテクニックで奴隷にされた一流バレリーナが、主人公?の舞台監督による前衛的な演出で磔にされた批評家を蹴り殺すことで、彼の作品をくだらないまがい物として一蹴した批評家への復讐が果たされる。背後からのどぎついスポットライトに照らされたバレリーナは意味もなく上着を脱ぎ、乳を放り出しながら大谷の顔面ウオッシュを思わせる勢いで縛られた批評家にハイヒールで蹴りをかます死霊の盆踊りレディ・イン・ザ・ウォーターとプロレスが合体したような奇妙なオープニング・ナイト場面に感動。破茶滅茶なラストも完璧。

夕方から筋トレ、三日ぶりに外出して5km。サブスクが消されたらいやだなと思い漢のソロアルバム聴きつつ。さすがにあのレベルだと警察にもある程度お金とか握らせて捕まらない仕組みになっているのかと思っていた。塀の中は何よりコロナが心配。

論文を進めるはずが優先順位低めの仕事ばかり進めてしまう。一つ根本的に内容を変えないとまずそうな授業の準備にTedを見始めた。なんとなくノリが嫌いだったので見るものかと思ってきたが、まあ短くまとまってて面白いのは確か。とりあえずビル・ゲイツパンデミックについての講演から。コメントに「この男はwindows95から長年ウイルスと戦ってきた」とか書いてあって笑った。

TSUTAYAも閉まっている中、仕事でいろいろ観る必要が生じ、仕方なく一ヶ月だけFanzaのピンク映画chに加入することにしたのだが、もたもたしていたら半額キャンペーンがGWまでだったらしく朝に終わっていた。悔しい思いを抑えつつ倍額払って加入。まあ寄付だと思うことにする。城定『味見したい女たち』(2003)。デビュー作にして、食卓や押入れ、縁側といった日本家屋の空間を生かした演出、覗き-覗かれの反転、古典的な曲の引用、中盤以降の鮮やかな転調など、その後の城定作品の定番といえる要素がすでにほぼ出揃っていることに驚く。特に隣家のプレイも含めてほとんど後ろ暗さを感じさせない覗き周りの演出のカラッとした感触には驚かされた。二重生活と覗きの関係は『人妻セカンドバージン』を(あれは屋根裏だったか)、覗きの反転のテーマからは『悦楽交差点』などを即座に想起。深田恭子似の主演があまり演技がうまくないことも性格と結びつけセリフの練習のくだりとして昇華しており見事。テロップの使い方は漫画をたくさん読んでいることが活きているのか。数撮っていくうちに完成されていったのかと思っていたところもあったが、わりと天才的な要素もある人なのかもしれない。